スパボの掬い場

ラブライブ!への大好きを叫ぶ場所。

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好きという感情、優木せつ菜の野望。1stライブでの気づき。

 

「今日みんなは、自分の大好きの気持ちに素直になれましたか?」

「今まで、他の人の大好きの気持ちを、大切にしてあげられましたか?」

 

 

そんな光り輝くステージ上に立つ彼女の問いが優木せつ菜という少女の持つ"野望"の大きさを再度僕らに実感させる。

 

初めて優木せつ菜という少女の持つ野望というものを見たときには「なんて純粋な子なんだろう」、細かいことは覚えていないがそんな言葉しか出てこなかったような気がする。

そんな純粋な気持ちを抱く優木せつ菜というキャラだが、用いる言葉はどこか挑戦的な言葉が多いと感じていた。

 

例えば電撃オンラインのスクスタメンバー紹介における意気込みコメントでも

 

 

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みんな、元気ーっ? 優木せつ菜ですっ!

 私ね、実は大きな野望があるんですっ! 

 ちょっと恥ずかしいけど勇気を出して言いますね。

 それは“大好き”を世界中に溢れさせちゃうスクールアイドルになることなんですっ!

 今の世の中、好きなことを素直に好きって言うの、ちょっと難しいじゃないですか。恥ずかしかったり、誰かにバカにされちゃったり、色んな事情があったり。

 でもね、スクールアイドルの世界ってそんなことなくて、やってる人も、応援してる人も、みんなスクールアイドルが大好きで、素直に大好きって言えちゃう。

 キラキラしてて、楽しくて、とっても優しい世界。

 だって、ここには大好きが溢れてるから。

 そんな、誰もが大好きを言えちゃう世界を、私はもっともっと広げていきたいんですっ!

 

電撃オンラインスクスタメンバー紹介より

【スクスタメンバー紹介】優木せつ菜ちゃんは都市伝説や野望を持つスクールアイドル! - 電撃オンライン

 

 

このように彼女は自分の願いのことを『身の程をわきまえない、大きな望み』という意の野望という言葉を使って表現している。

 

そして12月14,15で開催された虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会1stライブwith Youのパンフレットの所謂チラシページでは

「大好きを叫ぶために世界を変えるーそれが私の革命」

といった見出しで彼女の野望を、予告状として高らかに宣言している、これについて

「予告状は、挑戦状でもあると思っています。何かを成し遂げるために予告を出すことは······覚悟の表れです。」

 

世界を変える挑戦状としてしまった。

 

なにが彼女をそこまで挑戦者であろうとさせるのか。それは言うまでもなくその"野望"の大きさなのだろうと思っていた。

「大好きを溢れさせる」

「人が自分の好きを素直に好きと言える」

 

これがどれだけ難しいことかなんてものは、生きていれば人は否が応でも身にする。

自分の好きなことなんてものは、他人から気に入らなければ簡単に否定されるもの。そんなのわかっている。

これは簡単じゃないことで、そう叶うようなものではないよな。

そして自分は優木せつ菜の野望とやらの大きさを分かったつもりでいた。

 

 

「せつ菜を演じてて実はすごく辛かったんです。大好きを否定されることって凄く辛いことだと思うんですよ。それを隠さなきゃいけないって凄く苦しいことだと思うんですよ。」

 

 

「でもそんな彼女だからこそ大好きを世界中に溢れさせたいって真っ直ぐな目標を立てられたんだと思います。」

 

 

顔を引っ叩かれたような気がした。

 

 

涙を目に溜め、声を詰まらせながら優木せつ菜を演じる彼女が放った言葉は、優木せつ菜の言葉そのものに聞こえた。

 

あそこまでキャラクターの痛みを理解している演者がいるのだろうか?いやその痛みを理解できるのなんて、理由は1つしかないだろう。恐らく彼女もまた同じように「好きを隠す、否定する辛さ」を知っている人間なのだ。

 

いや考えてみれば簡単なことだった。優木せつ菜彼女のいう誰もが大好きな世界を語る"野望"そんな願いは身の程を越えたものだというのは彼女が1番理解しているのだ。

だからこそ彼女は自身を挑戦者とするのだ。

優木せつ菜は知っているのだ。好きを素直に言えない辛さも、隠さなければいけない辛さも。

 

そして好きを否定される辛さも。

 

好きを否定される中から生まれる負の感情も。

 

思い返してみればこのラブライブ!という場所には沢山の好きから生まれた負の感情が充満してきた。

 

『μ'sが好きだから。ラブライブ!Aqoursに移っていくのが許せない。』

 

『なぜ自分の好きなあの子はシングル選挙で1位になれないのに、あの子が1位?ありえない』

 

何度も目にした誰かが同じ好きなものの中で、別の好きを否定するのを、移り変わっていく物事、何かを勝ち取るために争わなければいけない環境の中で。

 

 

そしてその誰かに傷つけられた"好き"という感情がまた誰かの好きを傷つける

 

 

人が持つ好きという感情はガラス玉みたいなものでとても綺麗で、美しい。

だけどそれはとてつもなく脆くて他人の悪意や環境で簡単に割れてしまう、そして時にはまた別の好きを傷つける恐ろしい凶器に姿を変える。

 

 

だって僕がそうだ。ラブライブ!を好きでいる中で、誰かに自分の好きを否定されるのが怖くて、誰かの好きを傷つけてしまった。

誰かの好きを傷つけて、ラブライブ!を好きで居続けてきた。

人が自分の好きを傷つけられたくない、必死になってなんとか守りたい、のために人を傷つけるのを厭わないなんて知っていた。

 

だけど優木せつ菜は、楠木ともりという存在は好きに降りかかる凶器の苦しみを、痛みも知っていても、尚

『みんなが大好きを素直に言える世界に!!』

なんて言える強さがある。

 

彼女達の野望は彼女達の途方も痛みの上に成り立っている。

どれだけ傷ついても、自分の好きがボロボロになっても。

それでも彼女達は泥臭く、『他人の好き』を守ろうとしているのだ。

 

シリーズが長いからこそファン同士の好きが違う場所の中で、1人1人のキャラが魅力的だからこそ、1人の勝者を選ばなければならない争いの中で人と人の好きがぶつかりあう。

そんなラブライブ!の、虹ヶ咲という「皆んながライバル」というコンセプトの場所から生まれたキャラクターとそれを演じる声優の、

『他者の好きを守りたい』という願いが"野望"や"革命"以外の何であろうというのか?

 

 

僕はわかっていなかった。

超人的だなんて言われるけど、本当は頑固で、不器用で、バカみたいに真面目で、野望を抱く軌跡の中でどれだけの傷を作っても、それを胸に抱ける強さを彼女が持っていたことを。

 

理解できるわけもなかった。だって僕はその痛みに耐えきれず誰かを傷つけた弱い人間だから、そしてそれをいつかしょうがないとしてしまった人間だから。彼女達の夢の持つ重さも、道のりの長さもとても想像できるものですらない。

それはまさに世界への挑戦状という言葉が正しいのかもしれない。

 

自分の好きなキャラが成さんとすることを自分が否定してきた。

だからこそあの日1stライブのステージで彼女が投げかけた

『誰かの好きを大切に出来ていますか?』という言葉

僕は応えることができなかった。

 

だがもしまだ間に合うのなら僕もそんな挑戦を一緒に見届けていきたい。

過去に誰かを傷つけたのは変わらないかもしれない、けど今から優木せつ菜ちゃん、楠木ともりさんが守ろうとする誰かの好きを守る願いを叶えることが出来るだろうか?

 

そんな中で僕自身も好きなものを好きだと素直に言い続けられるだろうか?

 

いつか同じような質問をされた時、僕は胸を張って彼女達に応えることが出来るだろうか?

 

 

いやそれすらもきっと

「どうなるかは僕ら次第」なのだろう