スパボの掬い場

ラブライブ!への大好きを叫ぶ場所。

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それぞれの中に生きる「いま」があること。

 

皆さん8時間半お疲れ様でした!

ラブライブ!三昧最高でしたね……

 

ってテンションでこれ書いてます。

 

今日はちゃんとしたブログではなくて、ちょっとμ'sと向き合って嬉しく思ったことがあったので、雑談程度に書いてます。

 

でどんな話題かというというと、μ'sの曲を聴いて素直に『好きだなぁ』って思えるようになった自分がいたっていう話です。

 

「今まで違ったのかよ?」って言われると、正直違った部分もあって、いや昔は本当に純粋に好きでした。

中学の頃ラブライブ!に出会って、スクフェスをやって、URのイラストにときめいた時も。

友達と下校中、リリースされるシングルについて語りながら帰った日々も。

 

ライブに行こうとはしてませんでしたが、確かにμ'sのことを好きな自分がいました。

 

でもなんか、僕にとってのラブライブ!ってもうそれだけじゃないんですよ。

それは、僕があまりにもAqoursや、優木せつ菜から色んなものを貰ってきたから。

ラブライブ!からどんな気づきを得て、どんな風に人生の糧にしてるのかって、それが自分の中で大事になってるんです。

 

前の僕のブログ読んでいただいた方ならわかると思うんですけど、僕は本当にAqoursがいたから未来を望めて、生きてこれた人間なんです。

だから、それを実感すればするほど『僕の中にμ'sからもらったものってあったかな?』って疑うようになってしまって。

 

凄く自分の中で『好き』ってものが複雑になりました。

 

Aqoursと生きた時間が積み重なるほど、Aqoursが僕にとって大切と呼べるものになっていく過程で、僕の中で『μ'sへの好きは好きだったのか?』ってわからなくなってしまって。

 

それと同時に「Aqoursと生きるいま」を実感するほど、『μ'sと生きた時間がない』とも思うようになったんですよ。

Aqoursのライブに行くために日々を生きて、Aqoursのライブで力を貰って、それこそが『誰かと生きる時間』じゃないのかって思った時、僕の中からμ'sとの「いま」と呼べるものはなくなりました。

 

だから前まで聞けていた曲達が、素直に聞けなくなりました。

切なくて時をまきもどしてみるかい?
No no no いまが最高!

μ’sic forever!
忘れないで 君と僕の足跡

僕の中にはμ'sとの「いま」なんてどこにもなくて、足跡なんて残した覚えなんてなくて。

どの曲聴いてもピンとこないフレーズばっかで、そういうμ'sの曲聴くたびに『僕はここにはいない』って気にされて、なんか悲しくなってしまって。

 

僕にとってのAqoursを自覚してから、本当にμ'sの曲聴けない時が多くなって、触れたくないなって思うこと増えたんですよ。

『自分にとってμ'sとの時間がない』って事実と向き合うことが嫌で、目を逸らすようになりました。

 

でも有難いことに、ここ数ヶ月μ'sと向き合える機会が増えまして。

去年の10月に東京行った時に、フォロワーさんから誘っていただいて、「μ's Live in Theater」に行ったんですよ。

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僕らのLIVE 君とのLIFE」から始まって、「僕たちはひとつの光」まで、最初見るのが不安だったんですけど、でも『楽しかった』んです。

相変わらずピンとこない曲はあって、μ'sが歌う「いま」はいつまでも僕にとっては『歴史』なんですけど、でも楽しくて『あぁ好きだったんだ』って思えたんです。

 

けど、なにより隣にいたμ'sと青春を過ごしてた友人がずっと泣いてるのとか、その空間にいたμ'sを好きでい続けてきた人たちのこと、思うとなんか救われたんですよね。

 

不思議な話なんですけど、僕じゃない誰かの中に、『μ'sのいま』があることを知ったことで、なんかそれでいいかなって吹っ切れたんです。

 

あの人たちの中にあるμ'sとの時間は、僕は決して分けてもらうことは出来なくて、これから先もその時間を手に入れることはないんでしょう。

でも、多分その人たちにとってのそれは、僕にとっての「Aqoursと生きるいま」で、誰にも介入し得ない宝物なんだって。

だからこれでいいんだって思えました。

 

じゃあ「僕の中にはμ'sから貰ったものは結局なかったのか?」って言われたら、それもそんなことなかったんです。

こうして僕の中にAqoursと生きた時間があること、優木せつ菜と出会えたこと。

 

その始まりにいるのはちゃんとμ'sなんです。

多分それ以上でも、それ以下でもなかったんですけど。

 

特にμ'sから気づきを得たわけでも、生きる力を貰ったって実感もなかったし、一緒に駆け抜けた自覚もないんですけど。

でも確かに、μ'sと出会って、ラブライブ!を好きになった瞬間は嘘じゃなくて、μ'sの曲とか、アニメ追ってた時間は間違いなく僕の始まりでした。

 

僕にとってμ'sは『始まり』でしかなかったけど、きっとそれでいいんだなって。

 

『始まり』ってだけで、僕の中に『いま』はなくても、僕は好きでいてよかったんですよね。

だから今日は、驚くほど素直にμ'sの曲を聴けました。

μ'sの残した『足跡』は、僕の足元にはありませんでした。μ'sの巻き戻したい時間の中に、僕はいませんでした。

でも、やっぱりちゃんと好きでした。

そして、きっとあのラジオを聴いて今までの軌跡を思い返した人が沢山いることも。

 

μ'sと誰かの間にある「いま」を分かち合えないことを少し寂しく思いますが、でも同じように僕の中にも、誰にも渡せない「いま」があるのですから。

そこへ割り込めないことに、今は少し救われています。

 

過ぎ去ってしまった時間が「いま」になることは決してないんですけど、でもこれからを「いま」にすることはきっと出来るはずで。

その為にいつだって僕らは、目の前にやってくる「いま」を見逃しちゃいけないんだと。

 

だからこれを読んでくださってるあなたにも、忘れないでいてほしいです。

 

あなたにとっての「いま」はなんですか?