"優木せつ菜の野望"が、この場所で繋がり続けて欲しい。
皆さんお久しぶりです。スパボです。
皆さん、
First Live “with You”2周年
ですよ??月日の流れ早すぎますね……
虹ヶ咲1stは、皆さんにとってどんなライブですか?
僕にとっては大切なものをくれた大切なライブ……ですけど。
それ以上に虹ヶ咲1stは、僕がラブライブ!と向き合う上で大切なものを気づかせてくれた大切なライブです。
あの日の言葉に思い馳せながら、
僕が"優木せつ菜の野望"に託す願いについて、少しだけ語らせてください。
①"大好き"を大切にする
自分の大好きを大切にする。
他の人の大好きを大切にする。
2年前に僕らが受け取った想い、皆さん覚えてますか?
皆さんは、この想いに対する答えは出せましたか?
僕は正直分かりません。いえ、答えはまだ出したくないです。
でも向き合い方についてなら、少しだけ分かることがあります。
多分「自分と、誰かの大好きから目を逸らさないこと」なんじゃないかなって。
あなたはラブライブ!好きですか?どんなスクールアイドルが好きですか?
μ's?Aqours?虹ヶ咲?Liella?
それともA-RISE?Saint Snow?Sunny Passion?東雲や藤黄?
どんな形をしてるかは人それぞれですね。
でもどれも最高です。
まさしく"大好き"は宝物。
形も、色も、輝き方も、それぞれ違うと思います。
今のラブライブ!は色んな形の大好きがあって、色んな大好きが叫びやすい環境だと思います。
でもだからこそ、苦しむ大好きもあるんだろうなとも思ってます。
あなたが虹ヶ咲を大好きだ!って語る姿で、誰かが「Aqoursは忘れられるのかな…」って不安になるかもしれない。
Liella!を語る姿を見て「虹ヶ咲のこと置いてっちゃうのかな…』って思うかもしれない。
今の9人の虹ヶ咲を好きな人達は、『自分の好きの形は過去になるのかもしれない』って悩むかもしれない。
"大好き"は綺麗で眩しくて、それぞれ色も輝き方も違うからこそ、その違いがよく見えてしまうから、生まれてくる苦しさだってあると思うんです。
考えすぎでしょうか?でもただ"大好きを語ってるだけ"が、誰かを苦しめることって多分あるんですよ。
『自分の大好きの在り方が、誰かを苦しめる。』って何より想像し難いことかもしれないけど、大好きの形がそれぞれ違うように、大好きから生まれる苦しみも人それぞれで、それを分かち合うことは難しいですよね。
「誰も苦しまない大好きの叫び方」なんてきっとないんです。
②大好きと向き合う勇気
だからその苦しみを理解するのが難しいからこそ、僕らは向き合うしか出来ないんです。
苦しむ大好きを否定するのではなく、ただ向き合いその在り方を肯定するしか出来ない。
その為には
『自分の大好きで苦しめてしまう大好き』と向き合い、肯定する勇気。
それでもなお『自分の大好きを大好きだと言える勇気』
が必要だと思うんです。
別の大好きと向き合う勇気は皆さん分かると思います。
でもなぜ、「自分の大好きを大好きと言える勇気」がいるのか。
だってそれがなければ、「誰かの大好きのために、自分の大好きを閉じ込める」という選択肢が発生してしまうから。
「たった1人が傷つくことで、皆んなの大好きを守る」
それは優木せつ菜の野望の形なのでしょうか?
多くが笑う為に、少数の犠牲を良しとすることは
「誰もが大好きを叫べる世界」って呼ぶんでしょうか?
仮にそんなものだとしたら、僕は願い下げです。
だから例え、大好き同士がぶつかることになっても、皆んなが大好きを貫ける方法を僕は選びたいです。
皆んなのために1人が傷つくような世界じゃなくて、みんな大好きの違いにぶつかって、それでも最後は「みんな最高!」って笑い合える世界が、優木せつ菜の望む世界だったら最高じゃないですか。
「みんな最高!」って思いながら
『でもやっぱり私は私の大好きが1番好き!』
ってなれるなら、それは世界最高の大好きじゃないですか。
それはアニガサキの物語に見た在り方なんじゃないかって。
みんな違う大好きを持ってて、それがぶつかることで、傷ついてしまったこともあって。
でも、最後はみんなそれぞれの大好きを認めながら、『私の大好きが1番!!』って"スクールアイドルフェスティバル"という、小さくて広い世界の中で笑い合えたような。
誰も傷つかないなんてこと、衝突がないなんて都合のいいことはないでしょう。
でも、どこかで「誰かが泣いたままの終わり」じゃなくて、最後に『みんなで笑い合える終わり』を求めることは出来るのではないでしょうか?
今のラブライブ!の在り方僕は好きです。
でももっと、違う大好きへ向き合う優しさが繋がっていくのなら、もっと良くなるはず。
③野望を繋ぐ
最後にもう一つ。
優木せつ菜の"野望“へ、僕が抱く願いについて話させてください。
普段、僕のブログ読んでくださってる方なら、僕が何記事も"野望"について語ってることを知ってると思います。
なんでこうも僕が"優木せつ菜の野望"を話したがるのか、それは彼女達の優しさが繋がり続けてほしいって思ってるからです。
僕が優木せつ菜の野望に惹かれたのは、ラブライブ!って場所から生まれてきた想いだからです。
一時期、ラブライブ!は"大好きを素直に叫ぶこと"がとても難しい場所だったと思います。
μ'sが大切で、だからAqoursへ強く言ってしまう人達。
そんな気持ちが暴走してしまったのか、Aqoursを大きな声で、キャストさんを傷つけるようなやり方で批判する人達。
面白半分にAqoursを応援してくれる人達の好意を、踏み躙るようなことをする人達。
痛みを知ってるのに、それを痛みでしか返さない人達。大好きをぶつけ合うどころか、否定し苦しみをぶつけ合うような悲しさがありました。
でもきっと、面白半分で攻撃する人はそんな多くなくて、大切な想いがあるからこそ苦しんで、それを攻撃的な方法でしか吐き出せない人の方が多かったはずで。
でも当時の僕には、その区別がつかなかったんです。
だからμ'sのアイコンしてるだけで怖くて、Aqoursのアイコンってだけで批判されるんじゃないかなって思って。
大好きなAqoursを認めてもらえないように感じるのが嫌で。
僕には、全てが僕の好きを脅かす敵に見えて、全部嫌いで。
そんな僕も痛みを痛みで返すしか、自分を守ることが出来ませんでした。
皆さん、最初はスクスタのリリース予定が2018年だったことは覚えてますか?
2018はまさに、そんな苦しさが多く残っていた時期でした。
そんな時にスクスタがリリースされようとしていたことって、今思うと必然だったのかなとすら思ってしまうんです。
(結局僕らが虹ヶ咲の物語と邂逅するのは、2019年のことになりますが。)(でも僕はむしろ2019だったからこそ素直に優木せつ菜の物語を受け取れたのかなとも思います。)
ラブライブ !が「素直に大好きを叫ぶのが難しい場所」だったからこそ、『みんなが大好きを叫べる世界』を望む心優しいスクールアイドルは僕らに会いにきてくれたんじゃないのかなって。
μ'sが作って、Aqoursが繋いだ、ラブライブ!シリーズって形には、そんな色んな大好きが輝ける場所があるんだって、優木せつ菜が示してくれた。
「今まで、他の人の大好きの気持ちを、大切にしてあげられましたか?」
楠木さんの途方もない覚悟が見せた優しさは、そんな優木せつ菜の持つ眩しさに気づかせてくれた。
色んな大好きと、息苦しさが渦巻いてたコンテンツで産声を上げた優木せつ菜の野望って勇気と優しさなんです。
そんな優しさに触れたから、素直にこんなことが思えました。
「僕はずっと、何にも怯えず大好きを言える場所が欲しかっただけだったんだ。」って。
そんなことに辿り着くまでに、沢山の人を傷つけました。
2人の優しさに触れたからこそ、誰かを傷つけ自分を守ろうとしたことで、僕の大好きも一緒に傷ついてたことに気付きました。
でも、せつ菜ちゃんと楠木さんが照らしてくれたから、自分と誰かにつけてしまった傷に向き合うしかなかったから、僕の中に強い願いが生まれました。
今ある、そしてこれからも良くなり続ける「大好きを素直に叫べる場所」を、この道の先でスクールアイドルと出会ってくれる人たちに残し続けたい。
もう僕みたいな苦しさを抱える人が現れないで欲しい。
大好き同士がぶつかって、その結果悩むことは仕方ないことかもしれない。
でも痛みと痛みをぶつけることしか出来ないなんて苦しいこと、なくていいんです。
大好きなものを守りたくて、分かって欲しくて、色んなものに反抗することでしか守れないような思いをしないで欲しい。
それは誰かの大好きを、自分の大好きを傷つけるだけだから。
ラブライブ!って場所が、何かに怯えることなく大好きを言える場所で、大好きをぶつけられる場所であり続けてほしい。
そんな場所を望める優木せつ菜の、楠木さんの優しさが、次の人たちにも渡っていってほしい。
"優木せつ菜の野望"という優しさが、
ラブライブ!って場所で繋がり続けてほしい。
その為に、僕も大好きと向き合える優しさや勇気を持てるよう、少しでも強くなりたい。
そして彼女達の優しさを、僕と、僕と同じような願いを持ってくれる人達で、繋ぎ続ければどこまでも伸びていくんじゃないかなって、そんなこと僕は夢見てしまうんです。
それが、不器用なやり方しか出来なかった、優木せつ菜と楠木さんの優しさが大好きな僕の願いです。