LIKE IT! LOVE IT!、"優木せつ菜"である証明の歌。
皆さんこんにちはスパボです!
A・ZU・NAファンミから気付けば1週間以上経ったと思えば、11月になってしまいましたね……もう今年終わりますよ。
最近やたら時が去っていくスピードが早くなった気がします。
さて前置きはここまでにして、今回僕が書かせていただくのはそんな1週間以上前、A・ZU・NAファンミで見た「無限の可能性」の話です。
一言で言うならこのファンミ、優木せつ菜推しとして、
まーーーーじで行けてよかった……
心からそう思いました。
僕にそう思わせてくれたA・ZU・NAファンミで見た「優木せつ菜の証明」について、LIKE IT! LOVE IT!って曲にも触れながら話していきます。
⚠︎ここからはスクスタのサイドエピやメインエピソードのネタバレマシマシで行きますので、まだ見てない方はご注意ください。
①優木せつ菜の証明
まずこの話をする前提として、優木せつ菜楽曲が持つ"証明"という性質について話させてください。
この曲っていうかほかの優木せつ菜の曲の特殊性にも繋がることなんですけど、優木せつ菜の曲って彼女自身が歩み続けることで完成されていく曲なんですよ。
もっと詳しくいうと『せつ菜ちゃんが歌う歌詞を、せつ菜ちゃん自身が体現することで、歌詞が真実として僕らに伝わってくるようになる』ってことです。
▲CHASE!の最初の色
例としてCHASE!の歌詞の一節を見てみましょうか。
走り出した!思いは強くするよ
悩んだら君の手を握ろう
なりたい自分を我慢しないでいいよ
夢はいつか ほら輝き出すんだ!CHASE! 優木せつ菜
ここの歌詞も相まって、2018年リリースされて初めて聞いた時に、CHASE!のことを「圧倒的肯定の曲」だと思いました。
多分この曲だけ初見で対面された方の中で、同じこと感じられた方はいらっしゃるのではないでしょうか?
優木せつ菜という"ヒーロー"のような、熱く眩しい存在が自身の在り方で葛藤する人へ向け、熱いエールを送るそんな曲。
ですがいざスクスタのストーリーが始まってみると、僕のCHASE!の印象は全く変わりました。
以前の記事でも書かせていただきましたが、そこにいたのは臆病な少女でした。
なりたい自分を我慢している少女が、同じような気持ちを抱える人を肯定する歌の裏で、自分は"優木せつ菜"という姿を借りなければ、大好きなことを大好きと言えない葛藤を抱えたまま苦しんでいる。
それを知ってから改めてCHASE!って曲と向き合ってみると、聞いてくれる人へのエールよりも、まず先に「なんて苦しそうなんだ。」そう思わされました。
そこに説得力とかはなくて、そうなれない少女が願望を必死に叫んでいる歌でした。
▲LIKE IT! LOVE IT!それは証明の曲
そんなせつ菜ちゃんの歌が、真実という説得力を持って僕らに伝わるようになった瞬間っていつでしょう?
それは優木せつ菜が「なりたい自分を我慢しなくなった時」だと思います。
無理だと思い諦めていたこと、両親に「自分自身の大好きを伝える」と言う壁にぶつかっていくことです。
両親から隠れず真正面から向き合って、スクールアイドルとして大好きって気持ちを伝え、
少しずつ、どんな時でも大好きを叫べるように歩み寄りながら(このサイドエピソードがLIKE IT! LOVE IT!衣装SRの物ってのが面白いですよね)
そんな自分を愛せた時。中川菜々は優木せつ菜ってなりたい自分になった。
その瞬間CHASE!はなりたい自分を隠している人間の歌から、『なりたい自分を貫く者の歌』として輝きだしたと思うのです。
こうしてせつ菜ちゃんが自身の歌を体現し"証明"することで、CHASE!は葛藤を抱える人達へ『説得力を内包したエールの曲』へ姿を変えていきました。
そんな自分自身で歌詞を体現する、せつ菜ちゃんの「体現による証明」を象徴する曲がLIKE IT! LOVE IT!だと思ってます。
空の高さは自分次第で
自由に変えていけるんだって
気づいたのはキミのおかげだよ
もっともっとこの目で確かめたいんだLIKE IT! LOVE IT! 優木せつ菜
先程掲載した記事でも触れさせていただきましたが、せつ菜ちゃんの楽曲が歌う「空の高さ」という概念は人が引く境界線、限界という側面があると思います。
"そら"はずっと続いているはずなのに、そこに線を引いて空と宇宙を分けるのは人だからです。
そんな限界を破る瞬間をせつ菜ちゃんが見せてくれることで、『空の高さはどこまでも変えられる』って言葉が初めて"可能性"を帯びて僕らに届くようになるんです。
そして、それは彼女の野望を信じられる理由にもなります。
無限大に広がる可能性を
私が証明してみせるからLIKE IT! LOVE IT! 優木せつ菜
"優木せつ菜の野望"は無茶で無謀なもので、叶わない夢物語だって思う人が大半だと思います。それは"大好き"をもってる人ほどよく知ってるはずです。
でもそれすら、僕らが勝手に引いた境界線に過ぎないのではないでしょうか?
誰もが大好きを叫べる世界を体現出来るかどうかも、僕ら次第なのかもしれない。
叶うはずない!ってことも、自らが難しいと思ってたことと向き合い叶えていくことで可能性を示す。
それが『優木せつ菜の証明』なのです。
②楠木さんが証明した可能性
さてここまでせつ菜ちゃんの楽曲が持つ、証明について話させていただきました。
ではここから、僕がA・ZU・NAファンミで見た無限大の可能性について話させていただきます。
まず最初に一つだけぶっちゃけさせてください。
僕実はA・ZU・NAファンミ見に行くことが、めちゃくちゃ怖かったんですよ。
優木せつ菜役 楠木ともりに関するお知らせ
— ラブライブ!シリーズ公式 (@LoveLive_staff) 2021年9月3日
所属事務所のニュースはこちらhttps://t.co/WOvh0XKHhM
#lovelive #虹ヶ咲 pic.twitter.com/Dr7EhD4uGM
このお知らせ見た時から、正直どうやってライブと向き合えばいいのか戸惑ってました。
僕が1stから見てきた、全力の"優木せつ菜のパフォーマンス"はもう見れないんだと。
それを実際に目の当たりにすることが怖かったんです。
楠木さんのがパフォーマンス大好きだったから、「それはもう見れない」って突きつけられてしまったらこれから先のライブで、楠木さんとせつ菜ちゃんと向き合うのが怖くなるかもしれなかったから。
でもA・ZU・NAで見せられたのはそれだけではなくて、むしろ僕がずっと魅せられてきた『楠木ともりが優木せつ菜である理由』でした。
無限大に広がる可能性を 私が証明してみせるから
この歌詞を嘘にはしない。いや
「嘘になるわけないでしょ?」そう言わんばかりの、楠木さんの在り方を見ました。
抱えてた不安通り、今までのようなパフォーマンスが出来ないんだということは、確かに突きつけられた気がします。
でもそこで立ち止まらないのが、楠木ともりと優木せつ菜なんだなと。
今まで通りのパフォーマンスが出来ないのなら、今出来ることを最大限活かす方法を模索する。
Kakushiaji!のステージ上でテーブルを使ったパフォーマンスを筆頭に。
LIKE IT! LOVE IT!のトロッコを使うからできる、会場全ての人との"大好き"のやり取り。
パフォーマンスをしないことで、歌唱出来る曲を増やし、3rdでは披露できなかった全速ドリーマーの歌唱。
これらは全力パフォーマンスが出来なくても、"最後まで楠木さんをステージに立たせる"ことを模索した結果、示された可能性ですよね。
可能性って一直線上にしか存在出来ないものじゃなくて、他の方向にも生まれるものなんです。
だって"そら"はどこまでも高くて、広いんですから。
多分3rdの楠木さんのセトリの組み方って、「せつ菜と同じパフォーマンスをし続ける」という可能性を模索してた姿だったと思うんです。
でもその方向が不可能に近いものだと分かっても、それで足を止めることなく、全力のパフォーマンスという道から、全く別の"可能性"を開拓しようとする姿がA・ZU・NAのファンミだったんです。
それってまさに"無限大の可能性"ですよね。
そして今現状の状態で出来るパフォーマンスを模索する姿は、他のメンバーにも新しい可能性を生み出していましたよね。
Diver Divaで行ったソロ曲のデュエット、これは本来シャッフルフェスの際の組み合わせが噛み合わなかったり、1人余るようなQU4RTZやA・ZU・NAでは出来なかった芸当です。
ですがヒーローショーという体で優木せつ菜を展開軸にすることで、本来1人であるヒロインを2人救わせ、ソロ曲デュエット披露時の1余り問題を解決することが出来、A・ZU・NAというユニット自体の可能性も広がっているんです。
出来なくなったことよりも、今自分の中にある可能性を探し続ける、『空の高さを、限界を決めない、可能性を模索し続けることで証明する』この姿を"優木せつ菜"と言わずしてなんと呼びましょう?
ずっと見せてきてくれたパフォーマンスが魅力の一つだったことは変わりません。
でもそれだけが、楠木さんとせつ菜ちゃんの全てでしょうか?
『優木せつ菜の言葉に、どこまで真でいられるか?』これこそ優木せつ菜と共に歩む存在であるという、何よりもの証ではないでしょうか?
A・ZU・NAファンミで僕がみたものはきっと、楠木さんが「無限大に広がる可能性」を"証明"することで、『楠木ともりが優木せつ菜であること』が"証明"される瞬間だったと思うんです。
③最後に-今も変わらない。
あなたと優木せつ菜の大好き。
さてここまで優木せつ菜の示す可能性について話させて頂きました。
最後に少しだけ本筋からは外れますが、感謝も兼ねてA・ZU・NAファンミで見たもう一つの、優木せつ菜たる要素について話させてください。
ここまで楠木さんが見せてくれた新しい在り方から見る、優木せつ菜である証について話してきました。
でもだからってA・ZU・NAファンミでは新しい挑戦、新しい可能性だけを見せられたかと言われると、そんなことはなかったんですよ。
突然ですが、あなたがライブを見て1番優木せつ菜を感じる瞬間っていつですか?
僕がライブで1番「優木せつ菜のライブ」にいるって感じる瞬間は、会場を"あなた"が振る真っ赤なブレードが染めて、その中で熱い想いを届ける楠木さんの姿を見た時なんです。
LIKE IT! LOVE IT!のトロッコを使い会場全ての人のところへ、大好きのやり取りをしに行く姿なんかはまさにそれなんですよ。
会場を真っ赤に染めたあなたの大好きと、それを受け取り自分の思いと共に会場一人一人へ『I love it』と肯定する姿。
そうして優木せつ菜の大好きと、"あなた"の大好きがループして響きあって、優木せつ菜の大好きが大きく揺れるような瞬間が好きなんです。
そんな大好きな光景が楠木さんの想いとあなたの"大好き"さえいればいつだって「優木せつ菜のライブ」になれるんだなって、僕の抱えてた不安を笑い飛ばしてくれたんですよ。
努力と継続 眠れない夜だって
「笑顔が見たい」そう、みんながいれば!CHASE! 優木せつ菜
みんながいること、"あなた"が赤に染まったブレードを大好きを振ってくれることってこんなに心強いんだなって。
優木せつ菜を"証明"するってことが、優木せつ菜の"野望"に近づくために、優木せつ菜である為に必要なこと。
なら優木せつ菜がライブがする為に、優木せつ菜のライブが存在するために必要なのは「"あなた"の大好き」なんです。
変わらず優木せつ菜であることを楠木さんが"証明"してくれたのなら、「優木せつ菜のライブはいつだってここにあるぞ!」って教えてくれたのは楠木さんと"あなた"なんです。
だからどんな形になろうと、変わらず"あなた"の大好きが会場で揺れている様を見れたことが僕は感謝しかないです。
だから僕がこんなこと言うのも変な話なんですけど、あなたへこれだけ言わせてください。
大好きを叫んでくれてありがとう!!
やっぱり大好きは最高だ。