スパボの掬い場

ラブライブ!への大好きを叫ぶ場所。

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勇気ではじまる物語 ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 13話『みんなの夢を叶える場所』感想

皆さんこんにちはスパボです。

 

アニガサキが終わってしまった……そんな事実に打ちのめされながら、今日も生きてます。

 

皆さんは13話どうでした?僕はめちゃくちゃ水分持ってかれて苦しかったですね……僕はこの物語がめちゃくちゃ好きです。

 

好きだったこと、特に目がいったところを、いつも通りまとめながら、アニガサキ記事最終回やっていきたいと思います、最後までお付き合いください。

 

・あなた

高咲侑というあなた

まず何よりもこの作品の好きを語る上で、外せないのは、侑ちゃんというあなたの存在です。

 

あなたは、スクールアイドルを応援するもの、アニメでは、そんなあなたの役割に、高咲侑という人間が当てはめられましたね。

そして、その侑ちゃんが、最後まであなただったことが、僕は大好きなんです。末代まで語ります。

 

侑ちゃんの第一印象は、夢を持たない、どこか達観したような、年相応の擦れがあって、トキメキを探し燻っている、1人の普通の人間。

 

そんな日常の中で、スクールアイドルに出会い、大好きって気持ちが溢れてからの姿は、まさしく1人のオタクとしてシンパシーをビシビシ感じたわけです。

 

大好きなものを通して、自分の世界が広がる姿とか。

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同じ趣味を持つ人を見つけるセンサーとか、見つけた時の饒舌さとか。

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まさにこいつオタクだなぁ…わかる…ってなるとこだらけなんです。

 

ただ侑ちゃん自身、実は凄い人間で、時にとんでもない情熱で色んなこと巻き込みながら進んだり、あなたより、主人公だなって思う瞬間もあるんです。

けどだからといって、なんでも出来て、怖いもの知らずの完全無欠の主人公なんかじゃないんですよね。

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侑 このフェスティバルをやりきれたら私だって、きっとなんとかなるって、怖がらないで自分の夢に向かっていけるはずだって、思いたいんだよね。

夢を追うことから、生まれる不安と戦ってたり。

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スクールアイドルではなく、奇跡を起こすものでもなく、ただ目の前にあるライブが、消えていくのを見ることしか出来なかったり。(僕はこの姿が、コロナ禍で消えていくライブの予定を、カレンダーから消す自分と重なって見えて、なんか痛くなりました。)

 

あなただからこその、無力さや、不安にわかる…って言いたくなりつつも、何より僕が共感したのは、楽しい時も、不安な時も、走らせてくれるのは、スクールアイドルだったことなんです。

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侑 みんなが私に勇気をくれたんだよ。

このセリフ、割と僕の致命傷になってるんですよ。

 

スクールアイドルのおかげって言いたいのは、楽しかった思い出だけじゃないんです。

辛かった時、怖かった時、手を取りまた進ませてくれたこと、勇気をくれたことが沢山あって、一生掛かっても返し切れないほど、沢山のものを貰いました。

 

大好きなものは、大好きな場所では勿論、それとは関係ないとこでも、自分の側にいてくれるんです。

 

そして侑ちゃんにとっても、最初から最後まで、いつも走らせてくれる存在がスクールアイドルだったこと、ひたすらあなた、なんですよね。

 

スクールアイドルからあなたへ

アニメ虹ヶ咲で忘れちゃいけないのは、侑ちゃん以外にも、数多くのあなた、応援する人がいるってことが描かれたことですよね。

 

あなたは、侑ちゃんだけでも、ましてや僕だけでもなく、この世界に沢山いて、それぞれやりたいこと、好きなことも、生きてきた場所も何もかも違う。

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それでも、スクールアイドルという旗印に集った、違うのに似ている、そんな存在。

 

この物語に幾度も登場するあなた達が、作られた存在じゃなくて、ちゃんとそれぞれあなたとして、生きてるなって感じるのは、大好きなスクールアイドルを見て、生まれるものも、違うことだと思うんです。

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スクールアイドルかぁ…

やってみたいって言ってたよね。

うん。興味はあるけど、私じゃ無理なのかな…

スクールアイドルを見て、スクールアイドルになりたいと思う人もいれば、そこから世界を広げスクールアイドルではない、夢を見つける人。

本当にそれぞれ違って、でも皆んなスクールアイドルが好き。

 

そんなあなたの代表として、侑ちゃんがいて、彼女が見届けてきた、夢を追いかけた9人の物語と、数多くのあなた、そんな誰もが一つになれた場所、ライブって本当奇跡みたいなものですよね。

 

でも、こんなに盛り上がったライブも、ファンも、終わったら、何事もなかったかのように、またそれぞれの人生を生きるために、それぞれの日常に帰っていくんです。(そんな切なさもまたライブ……)

 

けど皆んな侑ちゃんと同じく、日常に帰っても、スクールアイドルが歌ってくれた歌に、背中を押されながら生きていくんだと思います。その時がすぐに訪れなくても。

 

歌って、聴いたその場でぶっ刺さる強さと、ずっと心に残り続けて、ふとした瞬間に支えてくれる遅効性の面も持ってると思うんです。

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同好会の皆んなが歌った歌が、あの場でぶっ刺さったのは、きっと侑ちゃんで、それはあの瞬間まさに夢を始めたいと思っていて、そこから来る不安と戦っていたからだと思うんです。

 

勿論フェスにいた人全員が、その場で夢を応援してくれてるんだ!ってなって進んでいくわけではないでしょう。

でもいつか夢を進みたいと思ったのなら、虹ヶ咲の歌ってくれた歌は、侑ちゃんだけじゃなく、誰の勇気にもなる可能性がある。

 

あなたへ歌われた歌ってそんな力があると思うんです。

 

歌われた歌が、自分の側にあることに気づくか分からないし、それによって救われるかも分からないけど、あなたに歌われた歌は、ずっと離れず側にいて見守ってくれる。

侑 ……うん!!

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そしてそれぞれの人生の中で、何かに立ち向かう時、背中を押してくれる。

それが離れても、側にいるってことだと思うのです。

 

・手を伸ばすこと

もう一つ、僕が今回話したいのは、虹ヶ咲がソロアイドルという、1人でステージに上がる形を取っているのに、同好会っていう集まる場所も持ち続けたことです。

 

アニガサキの始まり、侑ちゃん達のはじまりのきっかけを作ったのは、旧同好会のメンバー間の、衝突からでしたね。

人と繋がることでのすれ違い、自分のやりたいことが妨げられること、そんな明確な壁がありました。(きっとそれは、社会という集合の中で生きる僕らは、嫌ってほど実感しているはず。)

 

クオリアという言葉を知っていますか?

クオリアとは感覚質、その人にしか分からないこと、その人だけが知覚出来ることを指しています。

 

例えば僕がせつ菜ちゃんを見て可愛いと感じた感覚と、他の人が可愛いと感じた感覚が、真に一緒かどうかは、どうしたって証明できません。

そう言った、主観的経験を経て得た感覚とは、人と共有出来ないものです。(もし共有する方法があるとすれば、全く同じ存在になり、同じ経験をすることでしょう。でもそれは不可能ですね。)

 

自分にとって大切なもの、苦しいこと、それは他人にとって違う。誰もが実感しているはずなのに、知らないうちに人を傷つけてしまう。

だって他人ではないから、知っているつもりでも、真には理解出来ない。

 

自分と違う大好きが

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誰かから向けられる期待が

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誰かに求められる姿が

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笑顔になれないことが

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大切に思うが故の行為が

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他人と違うことが

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時にどうしようもなく苦しいことを、きっと心からは理解できない。例えどんなに近しい人でも、それは、自分が負った傷じゃないから。

 

どうしたって、自分は自分で、他人には理解できないことだらけ。そんな恐怖から自分を守るために、繋がりを切る選択もあるでしょう。

 

そもそもソロアイドルという、誰にも影響されず自分のやりたいことをやる選択肢をしたなら、わざわざ他人といることを、選ばないことも出来たはず。

 

誰かといるから、お互いに理解できないことがあって、だからこそぶつかることもある。それを怖がる故、自分のやりたいことを遠慮してしまうこともある。

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それでも、自分を大事にしながら、他人と繋がることも諦めない、どちらも捨てなかったのが、虹ヶ咲の取った道だったと思います。

 

僕が、同好会の皆んなを似てるなって思うところは、同じ傷を持ってなくても、痛いのが辛いってことに寄り添える優しさ、痛みを知っても、手を伸ばすのをやめない勇気、だと思います。

 

中でもかすみちゃんは、ずっとその姿を見せてくれてましたよね。

 

誰より先に、他者とのすれ違いで傷ついて、それでも相手のことを思いやることが出来て、色んな色が一緒にいられることを望んだ子。

かすみ 前の繰り返しになるのは嫌ですけど、きっとそうじゃないやり方もあるはずで…

それを見つけるためには、かすみんと全然違うせつ菜先輩が居てくれないとダメなんだと思うんです。

もし、かすみちゃんが、自分以外の色を、せつ菜ちゃんのことを認めることができないまま、同好会が再開しても、再びバラバラになり、かすみちゃんは、ひとりになったかもしれません。

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フェスでも、誰かのやりたいことに付き合う姿は、認め合い繋がっていける空間を、自分から作っていこうと積極的に動いてるように見えて好きです。

 

そうして他人を受け入れようとした彼女だからこそ、自分のことをわかってくれる人、認めてくれる人が現れた。

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傷つくことを知り、それが怖くても、手を伸ばすのをやめないこと、そんな勇気が、色んな可愛いも、かっこいいも一緒にいられる、ワンダーランドを作ったんですね。

 

分からないから突き放す、理解したくないから手を伸ばさないのは簡単で、でもそれでは、人はひとりぼっちになってしまう。

1人だけど独りには決してならない、それが虹ヶ咲の物語なんだって思います。

 

アニメ虹ヶ咲には、手を繋ぐ描写、伸ばす描写が多く見られました。

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それは手を繋ぐこと、伸ばすことが、人と人との繋がりを象徴する、行動の一つだからだと思います。

君が言う通り他人の手は、僕を傷つけるかもしれない。僕の手が他人を傷つけるかもしれない。

つないだ手はいつか離れてしまうかもしれない。

綾波でも僕は、それでも君と、もう一度君と手をつなぎたいんだよ。

漫画 新世紀エヴァンゲリオン STAGE94より

時に傷つき、時に離れ、時に心を暖かくする、手がもたらす物は、他者との繋がりそのものだと思うのです。

 

勿論手を伸ばせば、受け入れようとすれば、誰もが虹ヶ咲の物語のように上手くいく、わけではないでしょう。

 

でも例え何も起こらなくても、理解しようとし続けるから、理解しようとしてくれる人が現れる、手を伸ばすから、手を取ってくれる人がいる。

そうあり続けることに、意味があると思うのです。

 

9人のスクールアイドルは、手を伸ばし続けました。

そしてそれぞれ別の色は主張し合いながら、それでも繋がっているから虹になった。

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彼女達が見せてくれた虹は、諦めなかった先にあった、奇跡の物語そのものだったんだと思います。

 

・さいごに

まずは、最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

 

アニガサキ記事、13週なんとか完走することが出来ました。

正直今まで数ヶ月に一回くらいのペースでしか、ブログ更新したことなかった人間なので、これ本当に完走できるのか?大丈夫か?って不安でしたがなんとかやり切れました。(我ながらよくやりました)

 

それもこれもアニガサキが、毎週僕の心を熱くしてくれて、ブログを書きたいって思わせてくれたこと、そしてこんなブログでも見てくださる皆さんのお陰です。

 

少し隙自語すると、僕も侑ちゃんみたいに、ラブライブ!に会う前はずっと燻ってた人間で、劇的なことに出逢いたいってずっと思ってました。

 

それが出会ってからは面白いほどに自分の世界が広がって、大切な人達との出会いと、大切にしたいことも増えて世界が彩られたんです。

 

だから劇中侑ちゃんの世界が広がっていく姿は、共感もそうなんですが、それよりもよかったね……ってなんか嬉しくなっちゃったんですよね。

 

だからこそ、そんな驚くほど似ているあなたである侑ちゃんが、僕が次元の壁を持つ故に伝えられないことを、スクールアイドルのみんなに沢山伝えてくれる姿が嬉しかったんです。

 

それはせつ菜ちゃんへ、ただ幸せでいて欲しいって言葉だったり、皆んなへの勇気をくれたんだよって感謝で。

それは普段から思ってることで、届けたいんだけど、絶対届けられない言葉、それを届けてくれたこの作品は、一つ僕の願いを叶えてくれた作品です。

 

これは虹ヶ咲だけじゃなく、ラブライブ!そのものがそうなんですが、ライブやアニメを見て楽しかった!だけで終わるんじゃなくて、勇気とか、大切な思いをもらって、日常の糧になっていく、それがラブライブ!って体験だと思うんです。

 

僕は人と繋がることも、文を書くのも苦手なので、僕が感じた、この作品の素晴らしさや、好きなところ、貰ったものが上手く共有出来たって自信はあんまないです。

 

でもこうして文を書くことで、少しでも誰かに感覚を共有しようとすることで、作品の素晴らしさを知ってもらえていたら嬉しいです。

 

さて、そろそろここら辺で、筆を置かせていただきます。

週更新は流石にしませんが、書くことは続けていけたらなって思ってるので、またすぐ何かたらたらと書くかもしれません。その時はお付き合いください。

後アニガサキ二期こい。

 

それではまた!

アニガサキ本当にありがとう!!また会える日を待ってます!!