アニガサキしずくちゃんが、好きって話。
突然なんですけど、しずく、モノクロームっていうか、僕アニガサキのしずくちゃん好きなんですよね、凄い好き。
先日発売されたフォトエッセイを読んで、ますます好きになりました。みなさん買ってください。(ステマ)
(当然しずくちゃん以外の話もアホほどいいのでこれは必須科目です。落とすと留年します。)
さて、じゃあ僕が彼女の何が好きかって言ったら、"普通"だからなんですよね。
いやもっと言うと、境遇に共感出来て、尚且つ尊敬出来るからなんです。
古い映画や小説が好きで、空想が好きな女の子。
でもそんな在り方を受け入れて貰えなくて、それが怖くて幼少期から心に鍵をかけてきた女の子。
そんな子が、必死に自分の心を開けようとしてるんですよ。ずっと自分と向き合って、何度も開けようと試みて。
それでも、閉じた心の開け方を知らず育ってしまったから、どうしたって開けられない、そんな女の子が。
こんな言い方は誤解を生むかもしれないんですけど、彼女の悩みはすっごく普通のことというか、ありふれた苦しみだと思うんですよね。
誰しもそうだと思うんです。誰かに見せるのが怖くて仕方ない部分があることって。
こういう心の話をしてると、僕の世界一好きなソングライターが、話してくれたことを思い出すんです。
あなたの心に鍵はかかっていますか?
傷つくのが怖くてとか 踏み込まれるのが怖くて
鍵はかけてるのかな。うん、かけとけよ。鍵とかがっちがちにそれでいいと思うんだ。俺。
鍵なんか全然かかってりゃいいと思う、俺もかかってるもん
悲しい事じゃないと思うんです。当たり前だよ。
大事なやわらかい部分あるもんな。
俺もあるよ。それを一生懸命守ってるもんな。
すごいかっこいいと思う。立派だと思う。
BUMP LOCKS 2005年12月27日 藤原基央の発言より
鍵をかけてることは悲しいことじゃない、誰もがそうやって自分を守っている。
しずくちゃんのことを受け入れられなかった子も、何かから身を守ろうとして、自分を隠してるかもしれない。
皆んなそうやってなんとか生きていて、それをどこかで納得してしまってる部分も、あると思うんです。
実際しずくちゃんも、あのお話まではそれについて、そこまで悩んでなかったのかもしれない。
自分を隠して、誰かに好かれる"桜坂しずく"を演じてずっと上手くやってきたのだから、もう彼女の中ですっかり"当たり前"だった筈なんです。
でも劇の役を降板させられて、黒のしずくが心をノックし始めるんです。隠してた自分を曝け出すために。
だから好きなんです。ずっと心に鍵をかけて、自分を守ってきた女の子が、もう一度役を勝ち取るために鍵を開ける選択をしたことが。
心開けなくてもいいんですよ。怖くて仕方なくて、閉ざしたものなのだから。それでよしと、出来てきたのだから。
それでも、"桜坂しずく"が心を開けたいと強く願うから、扉を叩く黒しずくちゃんは現れたし、やっぱり怖いと思う臆病な白しずくちゃんだって現れる。
そんな葛藤をする選択が出来るほど、演劇が大切で勇気ある桜坂しずくが好きなんですよね。(皆さんはできますか?大切なものの為に、隠してた部分を人に見せること。僕は自信を持ってうんとは言えません。)
でもそんな辛い選択をしても、しずくちゃんはずっと心を開けられなかったですよね。多分それは、自分の中に鍵がないから。
冒頭でも言った通り、閉めた扉を開ける術を知らないまま、育つ人も沢山いると思うんです。しずくちゃんはその一人だと思います。
そういう人は、鍵を自分の中に持っていなくて、だからどれ程"自分だけ"と向き合っても、開けられないんです。
じゃあ永久に開けられないのかというと、そうではないんです。
鍵あけたいですか
俺はかけててもいいと思うんだけどでも開けたくなる時ってきっとあるんだと思う。
そうなった時ってきっとね、自分で開けるんだよね。
俺ら自分で開けることができるんです。驚くほど自然に。
もしかしたら俺らのBUMP OF CHICKENの曲を、聴いてくれている人たちの中にはBUMPの曲の中に
あーこれは自分のね、かけちゃった鍵を
開ける鍵がこの曲の中にあるなー
と思って聞いてくれる人もいるかもしれない。(中略)
俺らの曲じゃないにしても
生きていれば鍵持ってる人と出会うかもしんないし
生きていれば自分ん中で鍵、あっここにあったって
見つけられるかもしんないし、そういう時驚くほど自然に
カチャってやる事ができちゃうんだよね。BUMP LOCKS 2005年12月27日 藤原基央の発言より
不思議なことに、自分じゃない誰かが、自分の心を開ける鍵を持っていたりするんです。鍵は自分の中だけじゃなく、外にもある。
劇中、しずくちゃんは一人で悩みを抱え込んでいましたね。それは、ないと分かっている場所を、永遠と探す行為だったと思うんです。(でも、しずくちゃんは、そこしか探す場所を知らなかったのかもしれません。)
でも最後は心を開けられた。それは思いがけず、自分じゃない誰かから、心の鍵を貰ったから。
かすみ もしかしたら、しず子のこと好きじゃないっていう人もいるかもしれないけど、私は桜坂しずくのこと大好きだから!
桜坂しずくの「心の鍵」は、誰かに素の自分を受け入れて貰うこと、好きになってもらうこと。
それを貰ったから、簡単に心は開いたんです。
でもかすみちゃんの言葉も、しずくちゃんが心を開けようとしていなければ、錠前に当てることもなかったと思うんです。
その言葉が、鍵という意味を持つことも、なかったかもしれません。
結局、心の鍵を受け取れるのも拾えるのも、心を開けられるのも、全部自分しかいないんです。
でも『それを鍵と出来る自分がいる』ってとても素敵だと思うんです。
そんな誰かの何気ない好きが鍵になる物語、誰かからの好きを鍵として受け取れたしずくちゃん、素敵すぎませんか???だから僕はこのお話好きなんです。
・あとがき
さてここからはちょっとフォトエッセイのネタバレもあったりしますので、嫌だなって方はフォトエッセイ読んでからまた帰ってきてください。
さて11月30日から刊行されてきた、素顔のフォトエッセイシリーズ。アニメ虹ヶ咲の、アフター的立ち位置の内容でしたね。
そして先日発売されたシリーズ三作目に掲載された、しずくちゃんのお話。皆さん読んでどう思いました?
僕は好きだなって思いました。
頑固で、とても臆病で、まだ大切な人たちにも素の自分を出しきれないしずくちゃん。いえ大切だからこそ、失いたくなくて、また隠してしまおうとするしずくちゃん。
やっぱり普通な女の子だなって思うんです。
一回鍵を開けられたからって、そこから何もかも変わるかって言ったら、やっぱりそんなわけないんです。
たったの一歩、でもとてつもない勇気がある一歩。
人の変化って、そんなとてつもない勇気の繰り返しだと思うんです。だから、しずくちゃんの臆病さも頑固さも、めちゃくちゃ共感出来ます。
でもそんな一歩ずつの変化でいいと思うんです。
僕自身も藤原さんが言うように、色んな人から鍵を貰ってきました。友達の言葉、ラブライブ!や、BUMP、誰かの文章からだったり。
でも嫌いで見せられない自分もまだ沢山いて、けど好きになれたから出ておいでって、開けてあげられた自分もいる。
しずくちゃんも、また素を隠したいと思う自分がいても、いつかそれも愛してあげられるようになったらいいし、勿論愛せなくてもいい。
開けたいと思った時に、また開けられたらいいと思うんです。
ただ、自分を好きだって言ってくれた人達を、なにより大切にしようとするしずくちゃんが一番好きで、だからこそ好きになってもらった自分を、大切にすることは忘れないで欲しい、とだけ願っておきます。
お誕生日おめでとう、しずくちゃん。貰った鍵なくさないようにね。