生徒会長『中川菜々』について。
皆さんこんにちは2日連続のブログ投稿でございます。
今回の記事はアニメ2期直前だってことで、僕の好きな中川菜々ちゃんに視点を当てて語って行きたいと思います!
ポイントは「生徒会長」という役職は中川菜々にとってなんだったのか?
そして、スクスタとアニメの違いについて。
そして今回の記事も昨日に引き続き生春さん(@Time_mrsi)とぎぬまさんの(@NEXT_Ginuma)企画に参加させていただいております!
皆さんも#明日へ夢を繋ごうをつけて、虹ヶ咲2期を盛り上げましょう!!
というわけで最後までよろしくお願いします!
①優木せつ菜と中川菜々
さて、まず菜々ちゃんのことを語るなら、彼女のもう一つの名前、優木せつ菜との関係を話さなきゃいけませんね。
みなさんご存知だと思いますが、改めて紹介しておくと、「優木せつ菜」は菜々ちゃんがスクールアイドルをやるために生まれた姿。
厳しい両親の言いつけを守って生きてきた中川菜々という人間では出来ないことを、別の名前を借りることで成すのが「優木せつ菜」なんですよね。
そんな本名である菜々ちゃんから、せつ菜ちゃんへの切り替えを彼女は「変身」と呼んでいます。
「中川菜々」から、「優木せつ菜」へ。
生徒会長から、スクールアイドルへ。
私なりの"変身"はこれで完了
Rainbow Days 〜かすみ・愛・せつ菜〜 より
「変身」と聞けばヒーローものが真っ先に思い浮かぶ人が多いですよね。
普通の人間がアイテム一つで40mの超人になったり、やたらカラフルなスーツ纏ったバイク乗りになったり。
普段とは全く異なる姿形になることこそ「変身」というイメージが強いですよね。
せつ菜ちゃんにとっての変身アイテムはコンタクトと髪留めでしょうか。
そして変身といえば、アニメでは変身途中の形態が出てきたのが印象的でしたね。
よく特撮ヒーローものなんかだと特殊な状況下で、通常フォームより中途半端な形態が出てきたりしますが、まさにあれですよね。(仮面ライダーで例えると電王のプラットフォームみたいなやつ)
そんな少女の各形態の特徴をあげるのであれば、せつ菜ちゃんはどこか幼さの残るまっすぐさと、不器用さが見える少女。
菜々ちゃんは生徒会長として自分にも厳しい、大人らしい冷静さが漂う真面目さが特徴でしょうか?
改めて見比べると、知らない人からしたら別人に見えそうだなとすら思います。
実はスクスタリリース当初、ストーリーをプレイした時には「おっ?なんだこのメガネの生徒会長…?」と一瞬せつ菜ちゃんと分かりませんでした。
まさに変身と言えるでしょう。
じゃあせつ菜ちゃんと菜々ちゃんって、別人なの?って言われれば、僕はそうと一度も思ったことはありません。
僕的には『自分を使い分けている姿』が1番しっくりきています。
例えば「自分の大好きなことしてる時」の姿が優木せつ菜で、「日常生活を送ってる時」の姿が中川菜々とか。
ただ僕が彼女の好きなところとして、その使い分けが完璧ではないというか、某「もう1人の僕!」さんみたいに、人格が完全に別腹な人間ではないってとこなんですよ。
そこに関して、先日出たオフィシャルブックにて楠木さんが似たようなこと言ってくださってました。
お母さんと話している時って本名である菜々だとは思うんだけど、隠しているというよりはただ出さないだけっていう気がするし、私の中では二重人格みたいな分け方はしていなくて、ちゃんと根底にある思想や考え方はつながっていて、それが世間から見えた時に何か大きな違いがあればいいなくらい。
TVアニメオフィシャルブックより
この菜々と呼べる部分と、せつ菜と呼べる部分を「分けてない」って感覚が僕は凄く共感できるんですよ。
例えばスパボの時の自分と、普段学校やバイト行ってる時の自分って違うんですよ。
でも、違うんだけど根底にいるのは全部1人の僕なんです。
勿論読んでくださってるあなたも、仕事の時と友達に会ってる時で自分って違うと思うんですけど、だからといって多重人格か?と言ったら違って、きっと「自分の顔」を使い分けてるんですよね。
例を挙げるなら、優しい側面しか持たない人ってそういるわけなくて、大概それとは別に怖い面も持ってると思うんですよ。
そういう自分が自分の中に持ってるいくつもの要素、仮面を使い分けてる。
表面的なあり方を使い分けることで、友人や家族、会社といったコミュニティにおける生きやすさを求めてるんですよね。
菜々ちゃんにとってそれは、大好きなことをするために必要な顔、親との関係を良好に保つために必要なことであると言えますかね?
ただそれを「多重人格」として切り替えてる人ってそんなにいないというか、あくまで『自分のいろんな要素を場合によって使い分けてる』って感覚の方が正しいと思うんですよね。
だから完全にそれぞれの要素が切り離されているかというとそんなことなくて、大切な友人といる時だって自分の中の冷酷さが覗かせる時があるし、仕事上でも素の自分がうっかり出たりする。
だから楠木さんもいう通り、完全に分けきれない所が、僕は物凄く菜々ちゃんの好きなところというか、ラブライブ!のリアリティが出てるんですよね。
いくら菜々とせつ菜で使い分けてると言っても、結局どちらも1人の人間でしかないので、せつ菜から菜々らしさを感じるし、菜々からせつ菜らしさを感じられるんです。
例えば10話で肝試し?騒いでた1,3年生組を厳しく叱ってるところとか、彼女の生徒会長という生き方をしてきた真面目さが出てたり。
一体何をしてるんですか!
おふざけにも程があります!
3話の不器用にもはんぺんと追いかけっこするシーンは、生徒会長の姿でありながら、彼女の幼さと不器用さが出ていて。
待ちなさーい!!うぅっ待てー!!
真面目さも、幼さも、彼女が生きてきた中で根を張った本質であって、それが表面的な姿に変化があるからと言って、完全に切り離すなんてことは難しいんですよね。
だからこそ僕は2人が別人だって思うことはないですし、ある意味でその不完全さが、彼女が年相応の少女として生きている揺れ動きが感じられて好きなんですよ。
その上で誰も社会の中で生きるために、使い分ける顔というのが、中川菜々と優木せつ菜という名前や姿に強く現れてるというのが、彼女の特異性なんですよね。
だからこそ"変身"という言葉は、彼女にとってぴったりな表現だと思います。
②2人の『生徒会長』
さてじゃあ次は中川菜々を構成する大きな要素、『生徒会長の中川菜々』に視点を当てましょう。
まず彼女自身がスクールアイドルをやっていない、勉強や生徒会長として頑張る日常パートをどう思っているのか?というと、そんなに嫌いでもないんだろうなと僕は思うんですよね。
元々両親から期待され、求められてきたことに繋がるからと生徒会長を始めた。
ここはスクスタでも、アニメのアフターストーリー要素の強いフォトエッセイでも同じようなことが語られています。
ただ、そんな生き方についてネガティブなイメージを持っているかと言われるとそうではなく、「これも自分の一部」というフラットな捉え方をしています。
小さい頃から、親の言いつけは守る方でした。
勉強も、特に嫌いではありません。いわゆる「優等生」というやつ、なのだと思います。
みんなの言葉は嬉しいですが、予習復習や、生徒会の仕事などは、きっと、もともと向いているだけ。
Rainbow Days 〜かすみ・愛・せつ菜〜 より
ただ、中川菜々ちゃんにとって、生徒会長という立場が「彼女の好きにどんな影響を与えたのか?」という点でいえば、結末は全く違います。
僕個人として、ここが1番アニメの菜々ちゃんと、スクスタの菜々ちゃんの違うところだなって感じますね。
みなさんご存知かもしれませんが、スクスタの菜々ちゃんは、栞子に本当に好きなスクールアイドルであることを隠すために生徒会長をやっていることを見抜かれ、その役を降りました。
ただ誤解しないでほしいのは、スクスタ菜々ちゃんの想いが間違っていたのかと言われるとそんなことなくて、むしろどちらの世界線でも菜々ちゃんの想いはとても似ているんです。
栞子との生徒会再選挙を通して、菜々ちゃんが見つけた生徒会長として目指すべきあり方は、学校を『大好きを追い求められる場所』にすること、そして生徒会長としてそんな生徒のバックアップをすることでした。
そして、アニメのせつ菜ちゃんも、侑ちゃんと出会ったことで「大好きを応援する」という想いを抱いていました。
あの、いつか侑さんの大好きが見つかったら、今度は私に応援させてください!
アニメ虹ヶ咲オフィシャルブックでもシリーズ構成の田中さんはこう語っています。
菜々は自分のやりたいことへの気持ちが強い子ですが、みんなのやりたいことを応援する生徒会長という役割も好きなんだと思います。
TVアニメオフィシャルブック
最初から「大好きを溢れさせたい」と思っていたスクスタ。
侑ちゃんと出会い「大好きを叫びたい」という想いを叶えた先で、『大好きを応援する』という目標を得たアニメ。
どちらの菜々ちゃんも、彼女の根底にある「大好き」という概念が生徒会長という役職にも影響を与え、『大好きを応援したい』という願いを持っていたのは事実です。
ただ違ったのは、スクスタの中川菜々にとっての生徒会長という荷物は、「好きなことに繋がること」ではなく、彼女の努力は『報われるもの』でもなかったということです。
彼女は自分でも言ってる通り、本当はとても不器用な人間です。
一つのことしか出来ない、そしてそれが「大好きなことではなくなっていた」のを、栞子に見抜かれていたわけです。
生徒会長は「自分の好きに繋がるもの」ではなかったわけですね。
でも『大好きを応援したい』って想いを持った子が、生徒会長という役職が大好きに繋がらないってのも変な話だと思いませんか?
それを産んだ要因の一つに、その想いが他人に受け取ってもらえていたかどうか?があると思っています。
心から望んだ在り方ではないとはいえ、生徒1人1人の名前を覚えたりと、彼女の中にはちゃんと虹ヶ咲学園への想いがあり、信念になり得るものはありました。
彼女が「生徒会長」として行っていた努力は本物でした。
しかしあまりにも、その想いは人に受け取ってもらえていなかったんだと思います。
スクスタにおける菜々ちゃんは全校集会などで挨拶しているにも関わらず、名前をまともに覚えてない生徒すらいたですよね。
菜々ちゃん本人も意見箱の設置をしていなかったりと、コミュニケーションが出来なかったこともありますが、余りにも生徒との繋がりが希薄でした。
そんな状態で、菜々ちゃんにとって本当に生徒会長としての仕事が好きだったのか?と言われたらきっと好きになれてはいなかったと思います。
彼女が努力の最低限の対価として、やり甲斐すら感じられる機会が少なかったんじゃないかな?とすら思うんです。
あまりにも、周りから彼女への想いに対する関心がなかった。
彼女の想いを誰にも受け取ってもらえない状態で、中川菜々が「誰かの大好きを応援する」を貫き続けられるか?と言ったらきっと出来なかったと思います。
想像してみてください。せつ菜ちゃんとして、スクールアイドルとして「あなたの大好きを応援する!」と声を上げながら、ファンとの間に何のやり取りもない状況を。
そんな彼女を見て「名前なんだっけ?」と言われる状況を。
彼女にとって、生徒会長という役職はそういうものだったんです。
「生徒会長」の肩書きは、彼女の好きなことにはなれなかったんです。
だから栞子のように自分の仕事が認められ、かつそれを自分の1番好きなことと言い切る人間には勝てるわけはありません。
だって「好きなこと」をやってる人間の輝きは、菜々ちゃん自身が誰よりも理解してるはずです。
結局栞子に言われずとも、スクスタ菜々ちゃんの生徒会長という在り方は、どこかで破綻してしまっていたと思います。
③『夢を叶える場所』
じゃあアニメにおける中川菜々を、何が救ったのか?と言われれば、スクールアイドルフェスティバルの存在ですよね。
簡潔に言えば生徒会長というあり方が、中川菜々の「大好き」に繋がるものに変わったからなんです。
皆さんご存知の通り、同好会の提出したスクールアイドルフェスティバルの企画書を承認したのは他でもない、中川菜々でしたね?
会長、私からはもうなにもありません。会長はいかがですか?
…!はい、いいと思います。
そして学校全体、お台場という街全体を巻き込んだお祭りには、当然生徒会の面々もステージを支えるメンバーとして参加しているのが、副会長の描写から伺えますね。
そして開催当日、雨天により予定してたステージが何個も潰れ、終了時間まで過ぎてしまった状況で、なんとかもう1ステージ出来る様に学校へ掛け合ってくれたのも副会長でしたね?(生徒会のお陰で夢こことかいう名曲が披露できたありがとう…)
そんな描写を見てれば、菜々ちゃんとしても、彼女はこのお祭りの準備に運営にどれほど関わっていたのかな?って思いませんか?
せつ菜ちゃんとして演劇部として打ち合わせした後は、流しそうめん同好会との打ち合わせに菜々ちゃんとして向かったり。
せつ菜ちゃんとしてステージに立った後は、菜々ちゃんとして歩夢ちゃんのステージのサポートに行ったりとか。
めちゃくちゃ目まぐるしくて、大変だろうけどきっと菜々ちゃんは充実してると思いませんか?
だってずっと好きなことをしてるんですよ。
そしてその中で、「生徒会長」として多くの生徒と関わることになるでしょう。そうなればもう「名前すらあやふやな生徒会長」にはならなくないですか?
きっと生徒会長中川菜々の想いに、耳を傾けてくれる人も現れるでしょう。
生徒会長という立場で、優木せつ菜を隠す。元来の目的は変わらないと思います。
でも、生徒会長という役割も彼女の「たった一つやり抜きたい大好き」になっていけたら、それは苦ではなくなると思いませんか?
栞子風に返すのであれば『1番好きなこと』をやっているわけです。
生徒会長という立場からも、スクールアイドルのお祭りを作り上げる。
ただステージに立つだけではなく、裏方として『みんなの夢を叶える』ステージを助ける仕事もたくさんやれるわけですよ。
それってまさしく『大好きを応援する』ことであり、彼女の「大好きなこと」をやっていると言えませんか?
まして、同じ生徒会に同じくスクールアイドルを好きな副会長がいるんですよ?
もしかして会長…せつ菜ちゃんのファンですか!?
力説されるからそうなのかなって!嬉しいです!こんな近くに同士がいるなんて!
(ファンとアイドルという関係でもありますが)
正体は隠しながらでも、自分の好きな話が出来る場所。
自分の好きなスクールアイドルを、みんなの夢を叶える応援が出来る場所。
そんな場所は彼女にとって『大好きなもの』の一つと呼んでもいいのではないでしょうか?
だからいくらでも頑張れると思います。いや好きなことやってるんだから、それを努力とすら思わないかもしれません。
2期のpvでメガネが優木せつ菜のパーソナルカラーである赤縁のものに変わっているのも、中川菜々の状態でも自分の好きなことをやっている証拠なのかもしれませんね。
(また誰かの大好きを応援する日々が始まりますね)
アニメ虹ヶ咲は、スクールアイドルフェスティバルという「みんなの夢を叶える場所」を通して、
生徒会長『中川菜々の夢を叶える場所』でもあったんですよね。
スクスタでは生徒会長として「誰かの大好きを応援する」という想いを果たせず解任されてしまった菜々ちゃんの想いを、アニメ虹ヶ咲が叶えてくれた象徴のシーンとして、僕はこの「承認」を押すシーンが大好きですね。
ただの生徒会長という肩書きは、彼女の「好き」の一つになってくれたんじゃないかな?と思います。
ただ、どちらの方が正しいとか、良かったとか、そういう言い方は僕はしたくないんですよ。
副会長もいなかった、スクールアイドルフェスティバルの形も違ったスクスタの菜々ちゃんは結局無理するしかない環境にあったと思いますし、いつか破綻していたと思います。
その前に栞子に引導を渡されたことで「たった一つのことを貫く」という在り方を見つけられたことで『今の自分が大好き』と思えたわけです。
同じようにアニメの菜々ちゃんも、生徒会という在り方を通して無理をしているわけではなく、むしろ生徒会長という立場からも、大好きなスクールアイドル活動と繋がっている。
そんな自分を嫌いとは思っていないでしょう。
どちらも彼女にとって正しい道で、間違ってない道だったと思います。
だって菜々ちゃんが、
『今の自分を好きになれるかどうか?』が僕にとっては大事なんです。
だから僕はどちらの世界の中川菜々の物語も愛しています。
④新たな中川菜々の物語
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます…!
2期直前ということで、久々に菜々ちゃんとせつ菜ちゃんに視点を当てた記事を書かせていただきました!
書いてて思ったんですけど、やっぱり僕にとって中川菜々は、優木せつ菜は特別な存在ですね。
先日投稿したAqoursの記事では、大切なAqoursについて語らせていただきましたが、僕にとって菜々とせつ菜は同じくらい大切な場所にあります。
だから、それほど大切な存在の新しい物語と向き合うのってやっぱり怖いんですよね。
それこそ2期では、スクスタで生徒会長を降りるきっかけになった栞子が出てくるわけじゃないですか。
だから当時スクスタ9章読んでショックすぎて寝込んだ身としてはビクビクしてるんですよね。
でもやっぱり、彼女の物語を見届けたいって想いのが強いんです。
それはスクスタで「自分が大好きだ」と言えるようになった彼女の姿を見れたから。
そして、改めて今回の記事を書いていて思ったことがあります。
アニメとスクスタの中川菜々はやっぱり別人です。
人というのは、人生で負ってきた心の傷も含めてその人の一部なんです。ですから、生徒会長という肩書きに潰されていた彼女と、楽しんでいた彼女はやっぱり違います。
でもやっぱり彼女の根底にある、傷ついた分だけ人に優しく出来る優しさは、誰かの「大好きを応援したい」って思いは変わらなくて、やっぱり彼女は中川菜々であり、優木せつ菜と呼べる存在だと思います。
だから僕は、どちらの彼女も愛しています。
だからちゃんと目を開いて見届けます。
彼女が「大好きを貫くスクールアイドル」に、『自分を好きになれる1人の人間』になっていく様を、新しい季節の物語と共に。