スパボの掬い場

ラブライブ!への大好きを叫ぶ場所。

MENU

大好きは怖い、けど優木せつ菜を大好きでいたい。

 

皆さんおはこんばんにちはスパボです!

1ヶ月ぶりの記事更新で、どう文章書いたらいいんだ????ってめちゃくちゃ迷走してました。

でも心から僕が話したいって思ってたことなので、最後まで是非お付き合いください。

 

テーマは本日誕生日の、僕の大好きな優木せつ菜ちゃんと、大好きって気持ちについて話します。

 

突然ですが皆さんは大好きって感情のこと、どう思いますか?

僕は大好きは素敵だなってずっと思ってます。

 

大好きって気持ちから、また新しい大好きを見つけたり、同じような気持ちを持つ仲間と出会えたり、夢が始まったりして、世界は広いんだって気づかせてくれるような気持ちだから。

 

でも今は、怖いとも思います。

純粋に、『生まれたままの大好き』って気持ちのままで届くとは限らないから。

 

僕はせつ菜ちゃんが大好きで、だから幸せでいて欲しいなとか、なにか役に立ちたいなとか思うんです。

でも、その気持ちがせつ菜ちゃんの為になるかって言われたら分かんないんですよね。

 

もしかしたら僕の大好きから生まれたものは、せつ菜ちゃんに届いても、なんの役にも立たないかもしれない。

 

その人への好意的な感情が生む言葉とか、行動ってのが必ずその人のためになるなんて、どこにも保証されてなくて。

なんなら自分の大好きから生まれてきたものが、せつ菜ちゃんのこと返って苦しめてるかもって思ったら、どうしようもなく怖いんですよね。

 

そう思ったら好意だったはずのものが、『悪意のない悪意』になってることって、もしかしたら沢山あるんじゃないかなって悲しくもなったんですよね。

だから僕はアニメ虹ヶ咲3話が、本当に残酷で辛い回にも見えてるんです。

f:id:daison1128:20210807221557j:image
f:id:daison1128:20210807221605j:image
f:id:daison1128:20210807221602j:image

このCHASE!の動画に寄せられたコメントとか、『大好きのままで届くことが出来なかった大好きがどれだけいるんだろうなって思うんです。

 

ここに転がってる言葉の中には、好意だった気持ちが沢山あるはずで、でもそれが好きな相手を苦しめる刃として突き刺さってて。

画面の向こうからこの世界に触れた人たちにも、『悪意のない悪意』として見えていたかもしれないんですよね。

 

でもせつ菜ちゃんが自分を許せた理由も、侑ちゃんが持ってた"好意"でしたね。

そしてその好意は、他の人のそれより更に輝いて皆さんに見えた筈です。

侑 私はせつ菜ちゃんが幸せになれないのが嫌なだけ。ラブライブ!みたいな最高のステージじゃなくても良いんだよ。せつ菜ちゃんの歌が聞ければ十分なんだ…スクールアイドルがいてファンがいる…それでいいんじゃない?

菜々 どうして、こんな私に…

侑 言ったでしょ、大好きだって。

f:id:daison1128:20210807184121j:image
f:id:daison1128:20210807184124j:image

侑ちゃんの真っ直ぐな大好きって気持ちが、せつ菜ちゃんの心に触れる侑ちゃんの大好きは、こんなにも綺麗な大好きのまま伝わってる。

 

だからこそ、その"大好き"に差なんてあったのか?とも思うんです。

好きだからラブライブ!の舞台で見たいと思うことと、好きだからせつ菜ちゃんの歌が聞ければ十分だって思うことに、違いなんてあったんでしょうか?

 

もしあるとするなら、せつ菜ちゃんの心に一番近くで触れた人間だから、侑ちゃんの中から彼女の為になれる気持ちが生まれたってことですかね。(誰かのためになれる言葉って、それくらい近づかなきゃ生まれてこないかもしれませんね。)

 

最初は事情を知らなかった侑ちゃんだって、「始まりだったら最高だろうなって」って言葉で、彼女を苦しめてるんですよね。あの時点の高咲侑にとっても、優木せつ菜は遠い存在でしたから。

だからもし、あのコメントを投げた人達が少しだけせつ菜ちゃんに近づくことが出来てたら、もっと違う言葉をかけてあげられたのかなとも思うんです。

 

きっと偶々なんですよ。偶々侑ちゃんの好意はせつ菜ちゃんを救ったものになって、偶々他の人たちの気持ちは拾われない言葉になってしまっただけ。

 

でもそんな偶々で、悪意のように見えたままの好意があるなんて残酷すぎませんか?

 

じゃあ何が出来るかって言われたら、何も出来ないんですよ。

好意でしかなかったものが好意のままでいるか、悪意になるかは受け取る人に委ねられてて、僕らが操作できるものでは無いですから。

 

幸せでいて欲しいって気持ちが苦しさを生むことも、寄せた期待が勇気になることだってある。

どれだけ『相手の為になりたい』と想って投げた言葉だって、相手には凶器に見えてるかもしれないんです。

 

仮に精一杯好きな人のためになれる方法があるとしたら、侑ちゃんのように『せつ菜ちゃんの心に近づくこと』なんでしょう。

でもそれはあのコメント欄にいた人たちにも、僕にも出来ないですよね。優木せつ菜は遠い存在ですから。

 

そんなに考えすぎちゃうなら、『大好きでいることやめるか?』って言ったらそんなこと出来なくて、結局この整理できない気持ちを抱えて好きでいるしかないんですよ。

 

だって僕は僕のために、優木せつ菜を大好きでいるのだから。

 

好意ってのは、誰かのためじゃなくて自分のために生まれてくるんです。だから誰かに幸せであって欲しいって気持ちも、その人のことを好きだから生まれてくる自分のものなんです。

 

だからせつ菜ちゃんが、僕のこれを"悪意"って思っても、苦しいものだって思ってくれたってしょうがなくて。

彼女の為になれなくても、僕は僕の我儘貫いていくしかないんですよね。

 

うまく纏められないんですけど要は、

せつ菜ちゃんはせつ菜ちゃんの大好きを我儘に信じ続けて欲しいし、俺も勝手にせつ菜ちゃんのこと大好きでいるよ!!!っていう気持ちだと決意表明をしたかったんです。

 

さて、ここまで僕の赤裸々な文にお付き合いくださってありがとうございました。

最後に改めてせつ菜ちゃんをお祝いして締めせてください。

 

せつ菜ちゃん今年も誕生日おめでとう。

 

今年は曲作りにギターで参加させてもらったよ。相変わらず課題ばっか見つかるけど、精一杯せつ菜ちゃんのこと想いながら弾いたよ。

 

ブログもそうだけど、僕にここまで強く何かしたいなって思わせてくれるのが、僕にとっての優木せつ菜なんだなって改めて思ったよ。

 

だからこの大好きも、役に立たなかったら置いていってくれていいから、せつ菜ちゃんはせつ菜ちゃんの道を貫いて欲しいって、それが唯一届いて欲しい我儘です。

 

大好きだよ。ありがとう。