スクールアイドルが語る「夢は叶う」って言葉について。
「あなたの夢はなんですか?」
横浜の地でペイトンさんが投げかけた言葉。
夢ってなに?その言葉は、人によって恐ろしい言葉なのかもしれません。
夢を持つ人間は側からみれば輝いて見えるから?
その理由は人それぞれでしょう。
だからこの質問をされて戸惑う人もいるでしょう、夢を持てないことに悩む人もいるでしょう。
でも僕はそれでいいと思います。
ある方が凄い。それは大好きを持つより難しいとすら思います。
でも次に続いた言葉こそ、僕にとってどうしようもなく恐ろしいものだと思いました。
それは夢を見るものを、どこまでも追いかけてくるような言葉。
ただひとつ本当に好きなものなら、願い続ければ絶対叶うと思ってるから。
もしかしたら諦めてしまった夢もいつかは叶うかもしれないから、みんなどうかその夢を捨てずに、捨てたら夢が可哀想だから、見続けてあげてください。
ラブライブ!スーパースター!! Liella! 2nd LoveLive! ~What a Wonderful Dream!!~
あまりに怖い言葉だと思った。この言葉を受け取った人を、いつか苦しめるかもしれない言葉だと思いました。
でも同時に、あの言葉の中にはペイトンさんの切実な願いと優しさも含まれていました。
僕は「夢」が好きです。だからこそ、ここからは目を背けられないそう思います。
夢ってなんでしょう?「夢は叶う」って言葉ってなんでしょう。
どうしてステージに立つあの人たちは、僕らに叶うと言ってくれるのでしょうか?
今回はそんな言葉にフォーカスして言葉を紡ぎます。
そして、今回の記事は生春さん(@Time_mrsi)と
ぎぬまさん(@NEXT_Ginuma)の企画に参加させていただいております。
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— ぎぬま* (@NEXT_Ginuma) 2022年3月2日
Liella! デビュー1周年タグ企画#ちっぽけな昨日までの私じゃない
虹ヶ咲アニメ2期前夜祭タグ企画#明日へ夢を繋ごう
(詳細はリプライへ) pic.twitter.com/HMJeh2mxCM
Liella!への好きを届けたい方は
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①"あなたと"から、私を叶える物語。
さて「夢は叶う」という言葉にフォーカスする前に、ペイトンさんが「あなたの夢は何?」と問いかけてきた意味を考えたいと思います。
この問いかけの後、ペイトンさんはこんな言葉を続けています。
もしぽっと出てきたものがなにもなかったり、なんかふわふわしててよくわからないなって人も、焦らずにゆっくりと探せばいいものなのかなって思います。
ラブライブ!スーパースター!! Liella! 2nd LoveLive! ~What a Wonderful Dream!!~ 2日目より
"なくてもいい"などの「夢を見ない」と言う選択肢を提示するのではなく、あくまで『夢を探して欲しい』という想いが感じられます。
ペイトンさんのMCだけではなく、最近のLiella!の面々の言葉を聴いていても、僕らも彼女達と共に自分の夢を見ることを求められているな?と感じませんか?
僕個人としては、今のラブライブ!はファンに向けて「共に夢を見ること」を求めてきているコンテンツだなと感じています。
なんだかこの言葉だけで見ると、とてもハードルの高いことを求められてるような気もしますね。
ラブライブ!、ラブライブ!サンシャイン‼︎という作品だけを見れば、「夢」というものは、身の丈に合わないような、どこまでも大きなものに立ち向かっていくそんな偉大なことのように思えます。
そして元来の「みんなで叶える物語」は、そんな壮大な夢へ立ち向かう少女達を応援する!という側面が強かったように思います。
そんな勇気ある少女達の人生と自分の人生を重ねて、挑戦しろ!と言われれば腰が引けますね。
でもそんなことを求められてるわけではないと思うんです。
まず、壮大な夢を見ることが偉いなんて誰が決めたわけでもなく、まして夢を見ること自体が目標などではないからです。
そしてやばい夢ないよっていう方は、なんかLiella!のライブ行けたらいいなとか、もし次のライブ当たったらいいなみたいな、そういうちっちゃいことも夢にしちゃったら叶うかもしれない。そういう無限の可能性が夢にはあると思うので、皆さんも明日ちょっと楽しくならないかなとか、おっきな目標じゃなくても、希望が持てるような毎日を送っていただけたらとても嬉しいです。
ラブライブ!スーパースター!! Liella! 2nd LoveLive! ~What a Wonderful Dream!!~ 横浜2日目より
青山さんの言う通り、夢というのは大きな目標じゃなくてもいい、他と比べればちっちゃいようなことでもいいんです。
なぜなら夢というのは明日への道標であり、毎日に希望を咲かせるための手段に過ぎないのですから。
やりたいことがあるってさ 毎日楽しいね
君も そう感じてるかい?
START!! True dreams
クズクズしてた過去に メッセージを送れるなら
「今は楽しいよ」って言いたい!だってこんなに高鳴ってるよ
私のSymphony
Liella!の歌詞にも、「目標がある」という楽しさを語る歌詞が何度も登場しますね?
そして、彼女達の在り方を自分達に重ねる必要もありません。
それ以前に、僕らは生きていく中でスクールアイドルという存在を人生の糧にしているからです。
青山さんの言う通り、Liella!のライブに行きたい!そんな夢も、スクールアイドルがあなたの人生の一部になってるからですよね?
スクールアイドルが好きだからこんなことしたい!一緒にスクールアイドルと生きたい!そんな目標が生まれて、あなたの毎日と、まだ見ぬ明日が輝くのであれば、それがあなたの夢でいいんです。
②虹ヶ咲が定義してくれたハードル
そして、そんな「夢を見るハードル」が高くないものとする定義付けは、数年前からシリーズを通して行われてきてるんですよね。
その存在こそが虹ヶ咲だと思うんです。
これは夢かな? 夢ってステキな言葉
言ってるだけでイイ気分
きっと夢だと 決めてしまえ
ああっ 勇気が湧いてきた!
TOKIMEKI Runners
始まりのアルバムで歌った「夢と決めてしまえ」という歌詞。
夢と言いたくなってしまうような出会いがあったら、それを夢と言っていいんだと、夢の高さは自由だということを説きました。
それはアニメ虹ヶ咲の物語にも強く表れていると思います。
アニメ虹ヶ咲といえば「ラブライブ!に出なくていい」という侑ちゃんの言葉に代表される通り、競争の場での勝利、優勝を目標としない作品でしたね。
虹ヶ咲の面々は自分達それぞれのやりたいこと、叶えたいことの為に、ソロアイドルという選択肢を取りました。
そんなスクールアイドル達の自由な夢のあり方が、彼女達を応援するファンのみんなにも現れていると思います。
特にそれが色濃いのがアニメ11話の、スクールアイドルが好きな人たちの想いに、同好会のメンバーが触れるシーンです。
彼方ちゃんの歌に実はずっと励まされていて、インターハイに出ることが出来ました。フェスが開催されることになったら、何かお手伝いしたいです。
エマさんのpvに毎日癒されています。たくさん着せたい衣装があるので、フェスが実現するのを楽しみにしています。
スクールアイドル同好会が大好きで、クッキーを作っちゃいました。フェスがあるから、みんなにも食べてもらいたいな。
僕はこのシーンにこそ、今のラブライブ!シリーズが詰まっているなと思います。
バスケ部員がスクールアイドルを糧に、インターハイというラブライブ!のような「競争の場」で優勝を目指す物語を作っている。
そんな今までのラブライブ!のような物語の横に、スクールアイドルが好きでクッキーを作ったという、物語が肩を並べているのです。
さて無粋な質問をします、あなたからすればどちらの夢の方が壮大でしょうか?
世間を見渡して、クッキーとインターハイを同じレベルで語る人は、どれほどいるでしょうか?
はっきり言います。そんな物差しいらないんです。引き出しにしまっといてください。
大事なところはそこじゃない。
スクールアイドルを人生の糧として生きる彼女達の顔を見てください。
輝いてますよね?
これこそ夢なのです。
スクールアイドル達の活動を自分の人生の糧とし生きることに、大きいも小さいもない。
いやなんなら、それを夢とすら呼ばなくてもいいかもしれない。
それによって日々が輝くこと、それが何より一番大事なのです。
ラブライブ!に出なければ、廃校を救わなければ夢じゃないなんてことはない。
スクールアイドルでないと夢を見れないわけではない。
どんな形の夢だって見ていいのだ。
虹ヶ咲という作品が壊した、夢の大きさというハードルを跨いで、1人の少女の夢が始まる瞬間を僕らは目撃したはずです。
そんな虹ヶ咲に続いたシリーズ4作目のラブライブ!スーパースターのキャッチコピーは、
「私を叶える物語」でしたね?
スクールアイドルを見て、自分の中に生まれた気持ち。
スクールアイドルから受け取った気づき。
それらを自分の人生を、毎日を輝かせるために活かして生きてほしい。
それこそ僕らにとっての「私を叶える物語」であり、スクールアイドルが『夢を見よう』と願ってくれる意味だと僕は考えます。
③『夢は叶う』という呪いであり願い
さて、ここから僕が怖い言葉だと言った、
『夢は叶う』という言葉について話していきたいと思います。
最初に言っておきます。
多分ここまで読んで頂いた方には冷や水を書けるような内容です。
ここまで僕は「夢を見るハードルの低さ」を語らせていただきました。
ですが、ここからは『夢』や『憧れがくれた言葉』が、夢追うものを殺すかもしれないって点にも触れさせてください。
まず、冒頭で紹介したペイトンさんの言葉について考えます。
ちなみに僕はこの言葉の本質は、虹ヶ咲の
『夢がここからはじまるよ』に僕は似ていると考えています。
きっと大丈夫だよ 誰より知ってる
願いは叶うよ!
夢がここからはじまるよ
結論から言うと、『夢は叶う』という言葉は発信する側の切実な願いでありエールではないでしょうか?
それは「夢」は必ず叶うわけではないから。
そして、『叶わなかった夢』をあの人たちがよく知っているからではないでしょうか?
夢が必ず叶うわけではない、というのは劇中のセリフからも痛いほど感じられます。
かのん でもまだ分からないよ。
諦めない限り、夢が待っているのはまだずっと先かもしれないんだから。
劇中のかのんちゃんが使った「かも」と言う願望を含んだ言葉。
先が見えない夢を追う道行く人だからこそ、そんな願いを持ってしまう、そんな切実さを言葉の節から感じます。
夢が叶うかどうか、この先に夢が待っているかどうかの保証なんて、誰もしてくれていないから。
(でもそれを確かめる方法は、「諦めない」ことしかない。)
そして叶わなかった夢については、キャストさん達自身がよく知っているはずです。
いえ、彼女達自身が、誰かの夢を叶わなかった夢にしてきたはずです。
だってそうしてきたから、伊達さんと青山さんは、今あのステージに立ってるのではないでしょうか?
皆さんご存知の通り、この2人は一般公募から募りオーディションを勝ち抜いてきた存在です。
当然その裏には、僕らの知り得ないほど多くの落選者がいたでしょう。
その中の1人についてラブライブ!総合マガジンvol.16で、伊達さんが語っていましたね。
彼女とペアを組んでいた、同じく夢を見ていた人。
その人の夢が敗れたからこそ、今伊達さんはステージにいるのです。
そしてLiella!のオーディション映像で青山さんが言ってた「今年が最後のチャンス」と言う言葉覚えていますか?
このオーディションは15歳から22歳の女性がエントリー資格となっていました。
だから青山さんのようにギリギリ資格を与えられた人もいれば、逆にギリギリ夢を追う年齢ではなくなってしまった人だっていたでしょう。
オーディションに参加して、自分の努力を精一杯ぶつけられた人もいれば、自分の努力と関係なく、そもそも夢に挑戦する資格が与えられなかった人間すらいる。
僕らからは名前を知る術もない夢破れたものたちが、彼女達の後ろにいるのです。
ラブライブ!サンシャイン‼︎2期7話で描かれた、勝利したAqoursの影で、敗北に暮れる名前もないスクールアイドルがいたように。
綺麗な夢の後ろに、名前も残らなかった夢があります。
彼女達の存在は、誰かの散った夢の上に成り立っているのです。
それを彼女達はよく知っているはず。
いや、知っているからこそ、そう歌わずにはいられないんだと思います。
僕の敬愛するバンド、BUMP OF CHICKENの藤原基央はかつてインタビューで、「夢は叶う」と言う言葉についてこう語っていました。
「夢は叶うよ」という言葉って、古くから言われていますよね。これって、実際には必ずしもそうならないからこそ生まれた言葉だと思うんです。誰かにその言葉を言われて励まされた人も、その人が困難な局面に立っているからこそ響いたはずで。それは僕が言うまでもなく、誰もが身を持って知っていることだと思います。
BUMP OF CHICKEN、ツアーが作らせた「firefly」秘話 音楽ナタリー
必ずそうならないからこそ、「夢は叶う」と人は歌うのでしょう。
だってそうであって欲しいから。
虹ヶ咲やLiella!を通して、スクールアイドルは僕らに「一緒に夢を見よう」と語りかけてきました。
それによって、あなたの日々が、毎日が輝いていけばいいなと思って、僕らに『夢のハードル』は自由だってことを教えてくれました。
それだけスクールアイドルは僕達の日々が輝くように願ってくれているんだと思います。
そんな人たちが「夢は叶わない」なんて歌えますか?
夢を始めようとする人へ、ただ事実を突きつけるだけなんてことしないと思います。
だからこの先、困難が待っていようと、夢を始める人の希望になるように、夢を諦めてしまった人の支えになるようにと願いながら歌うのではないでしょうか?
「夢は叶う」と言う言葉を。
でもそんな願いの言葉を、僕は怖いと思ってしまいます。
何故ならその言葉は夢追うものを苦しめる呪いになるかもしれないからです。
ペイトンさんは言いました。
『本当に好きなものなら、願い続ければ絶対叶う』と。
じゃあ叶わなかったら、
本当に好きじゃないんですか?
勿論そんなことないって分かってます。
だって好きの強さで、想いの強さで夢が叶うなら、世の中はもっと叶った夢で溢れてるはず。
裏表はない、ペイトンさんの優しいエールだってことは分かります。
でも、本当に夢を追い続ける中で壁にぶつかったり、夢が叶わなくなってしまった時。
この言葉を疑わないなんてこと、出来るでしょうか?
例えば「ライブに行く」という夢が叶わなかった時について考えてみましょう。
僕にとって行きたかったライブはμ's finalです。
でもそれは2度と叶うことはありません。
あの頃の僕は、まだμ'sのライブに出会えてなかったから。物理的に不可能だったんです。
あなたには行けなかったライブは、行きたくても行けなくなったライブはありますか?
こんなご時世だからこそ、それぞれの都合でライブに行けなくなってしまった人も沢山いるでしょう。
断念するしかなかったライブもあったのではないでしょうか?
「ライブに行く」例えこれだけの夢でも、環境が、時代が叶えてくれない時があるんです。
夢は叶わない時がある。
でもだからと言って、あなたがμ'sやAqours、虹ヶ咲やLiella!のこと本気で好きじゃなかったってことになるんですか???
きっとどんな小さな夢でも、当たり前だと思った夢でも叶わないことはある。
どんな夢でも、自分の努力とは関係ないところで叶わなくなった夢があるでしょう。
だから、気持ちが全てなんてはずがない。
でも、実際にそんな壁に直面した時、どれほど夢が叶わない時でも、ペイトンさんの言葉を糧に出来ますか?
「私の夢は本当に好きなことではないのかな?」と疑わず進めますか?
それがこの言葉の持つエールであり、呪いの側面なんだと思います。
④夢を諦めるってこと
ここまで夢は叶うって言葉の怖さについて話させていただきました。
ここまでで本題はほぼ終わりなのですが、もう1つだけどうしても伝えたいことがあるので、もう少しだけ僕に時間をください。
伝えたいこと、それは夢を叶えることが出来なかった先の選択肢、「夢を諦める」ってことについてです。
僕は「夢を見続ける難しさ」と『好きでい続ける難しさ』は似ていると思います。
まず好きでい続ける難しさについて、思い出してみてください。
アニメ劇中で、歌と向き合っていたかのんちゃんの苦しみがありましたね。
幼少期から歌が大好きで歌い続けた少女が、「人前で歌えない」という苦しみと向き合っていた姿に、僕は夢と似たものを感じました。
好き、なのにね
ラブライブ!スーパースター1話 まだ名もないキモチより
好きなのに人前で歌えない。
人前で歌えないせいで、自分の夢を叶えることができない。
それでも、好きという感情が消えないから苦しくて仕方なかったはず。
がっかりするんだよ!いざって時に歌えないと。
周りのみんなもがっかりさせちゃうし、何より自分にがっかりする!そんなのもう嫌なの!
ラブライブ!スーパースター1話 まだ名もないキモチより
「好きでい続ける難しさ」というのは、好きという状態を維持することだけでなく、好きを抱えてることによる苦しさと向き合うこともいうのだと思います。
じゃあどうしたら楽になるのか?
それは好きをやめること。
嫌いになることなんだと思います。
別に対して好きじゃなかった、本当は嫌いだった、そう思えれば少しは楽になるかもしれません。
でも大きく育った大好きほど、そう簡単に嫌いにさせてはくれないはず。
あなたはなれますか?毎日そのことばっかり考えて、その為に日々を生きてきた「好き」を、簡単に嫌いになれますか?
大嫌いだよ もう嫌いだよ
数えきれないくらい思ったのに
ねえ苦しいよ なんでなんだろ
泣きそうな空をひとり見てる
青空を待ってる
心から大事にし続けた大好きほど、自分を裏切ってはくれないんです。
きっと、心から願い続けた夢も同じなんだと思います。
もう一度ペイトンさんのMCを思い出してください。
「もしかしたら諦めてしまった夢もいつかは叶うかもしれないから。」
「捨てたら夢が可哀想だから。見続けてあげてください。」
夢を捨てる。
僕はむしろ『見続けきた夢』こそ、捨てられないものだとすら思います。
少し想像して見てください。人生懸けて追ってきた夢がある日『それ叶わなくなった』って言われて「はいやめた」って、全部簡単に捨てられますか?
諦めた夢をもう一度挑戦してみたら、叶うかもしれない。
結局「叶うまで走る」しか、叶わないかどうか確かめる方法なんてないから。
勿論1度諦めたことに再び向き合うことは、途方もなく苦しいことですが。
けど物理的に叶わなくなった夢を、見たところでしょうがないと思いませんか?
でもだからと言って、ゴミのように捨てることもままならないですよね。
それはどうしても叶えたいと思った夢ほど、自分の中で大きく育ってるはずだから。
そして自分を育ててくれたから。
自分の毎日を輝かせてくれた、自分の中でどうしようもなく育ってくれた夢。
だからこそ、『捨てたら夢が可哀想』なんだと思います。
(そんな大切な夢を捨てようとする人の気持ちを思えば、それこそ可哀想とすら言えます。)
それはかのんちゃんや、すみれちゃんが夢を諦めなかったことに繋がっていると思います。
気持ちはわかるんだよね。私も歌えなかった時思ってたもん。そういう運命なんだって、続けても無駄だって。
無駄だと分かっていても、彼女達は夢を捨てられなかった。
叶わないままの夢を抱えてるから、いつまでも苦しいのに、いつまでも捨てられなかった。
ちぃちゃんのダンスに負けないほど歌えるように努力した、ショービジネスの世界で主役になれるように努力した、その日々をくれた間違いなく彼女達の『夢』だったはず。
苦しいけど、でもそれほど彼女達の中で大きく育った、大切な夢だったはず。
それほど夢は諦めることすら簡単に許してくれない。解放されないんです。
そんな「夢を諦める」という行為を僕の好きなバンドは『黄金の覚悟』と言ってくれています。
欲望から生まれた大切な夢を、どうしても諦めなければいけなかった人たちがいる。道が閉ざされたら、切実な思いがあるほどその事実を受け入れるにはすごく時間がかかる。ただ、それでも勇気を出して諦めることは、歌詞には「黄金の覚悟」と書いていますけど、それはすごく輝きのある行為で。
BUMP OF CHICKEN、ツアーが作らせた「firefly」秘話 音楽ナタリー
それほど『夢』はあなたの心から離れないものになっていく。
時にそれは『いつになっても忘れない宝物』と呼べるかもしれない。
時にはいつまでも忘れられない。
諦めても捨てようとしても、
『あなたのことを追いかけ続ける呪い』と呼ぶかもしれない。
どっちにしろ、ずっと夢は夢のまま残り続けるのでしょう。
好きでい続ける難しさも、夢を諦めない難しさも、諦める難しさも、同じくらい大変なんです。
夢を見る責任というのはどうしたって伴います。
叶うか叶わないかは誰も知らない。
けどそれを確かめる方法は、あなたが諦めないことしかない。
それは途方もないことで、終わりの見えないようなことだと思います。
でも、夢を見ることで毎日が輝く可能性、明日への希望が持てることもあります。
だから夢は求める人々がこんなにもいるんです。
だから僕は夢が好きです。
残酷とか綺麗とか関係なく、ただ見た以上はどこまでもついてくる夢が。
そして「夢は叶う」と歌ってくれるスクールアイドルが好きです。
夢が苦しいものだと知っても、それでも応援してくれる人達の世界では「そうであって欲しい」と歌う彼女達の優しさが好きなんです。
間違いなく夢は素敵でもあります。
夢はいつまでも夢です。
叶おうと叶わなくても、ずっとあなたのことを見てます。
だから最後に改めて聴きます。
そして、それをよく見てあげてください。
あなたの夢はなんですか?