スパボの掬い場

ラブライブ!への大好きを叫ぶ場所。

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永遠のスクールアイドル

 

 

突然ですが皆さん、優木せつ菜という大好きを叫ぶスクールアイドルと、先生からの信頼も厚い真面目な生徒会長中川菜々という虹ヶ咲学園の生徒会長。どちらが本当の人格だと思いますか?

僕はどちらも本当の彼女だと思っています。

 

 

 

好きなこと私だって ここに見つけたんだ 力一杯頑張れるよ本当の自分だから

MELODY 優木せつ菜

 

 

 

 

 

彼女のソロ楽曲では優木せつ菜の方が本当の自分というように歌われていますが、生徒会長中川菜々であるときに見せている彼女の「もっと生徒に頼られたいという願い」は決して嘘ではなく、その生真面目さは優木せつ菜として活動している時も失われていません。

もしAqours高海千歌ちゃんの言葉を借りるなら「今までのことはもう全て彼女の一部」であり、中川菜々としている時間も、優木せつ菜として生きる時間も等しく彼女のものなのでしょう。

どちらかというとここで歌われているのは「本当にありたい」自分なのかなと感じます。今回はそんな優木せつ菜ちゃんについて……少しお付き合いください。

 

 

 

 

まずこういった自分の中にもう1人別の自分がいるというキャラクターはラブライブ!の中でも心当たりがありますよね?

 

μ'sでいえば矢澤にこちゃん。ちょっとせこくて弟妹に優しい家庭的なアイドルオタク、みんなを笑顔にする宇宙No. 1アイドル、2人の矢澤にこ

 

Aqoursなら津島善子ヨハネちゃん。彼女は善子というちょっと不運な普通の女の子と、自分を天界からやってきた堕天使と信じてやまない堕天使ヨハネという2人の自分を持っています。

彼女はそのもう1人のヨハネという自分を「いるわけない」と否定することもありましたが、作中ではAqoursのメンバーを通して、それも自分だと肯定してするようになります。

 

 

こうしてみると同じように別の自分があるキャラクターというのはシリーズお決まりなのかと感じます。ですがそれぞれの在り方はやはり違います

 

 

そもそも矢澤にこちゃんの場合はもう1人の自分というよりは、自分の演じ分け、使い分けという表現の方がぴったりきます。そしてその使い分けは仲間からも驚嘆(いや呆れ?)されるほどです。

 

 

善子、ヨハネちゃんの場合は「こうでありたい」と憧れた結果自分の中に産まれた、いわば偶然の産物としてのもう1人の自分であり、作中でも突然出てきてしまうもう1人の自分に苦労するシーンは何度もありました。

 

 

せつ菜ちゃんの場合は両親に育てられ十数年生きてきた中川菜々と、その中川菜々の「高校生になったら絶対にスクールアイドルをやりたい」という願いから生まれた優木せつ菜というスクールアイドル。

彼女の場合優木せつ菜という人格は「自分自身の大好きを貫くという」願いのために自分が故意に生みだし、中川菜々もその願いを守るために必要な自分として保っています。

 

 

望んで生まれた自分と、そうでない自分。そういった点でいえばにこちゃんとせつ菜ちゃんは似ていて、善子ちゃんは似てないのかもしれません。

 

 

ですがせつ菜ちゃんはこの2人とは決定的に違うのです

 

 

まずにこちゃんの場合は前述した通りアイドルモードと私生活モードがありますが、どちらも"矢澤にこ"として存在しておりμ'sメンバーや弟妹といるときにはそのどちらも共存しています。

 

善子ちゃんは津島善子ヨハネと分かれていますがそれは周りも知っており、彼女のスクールアイドル活動を見てる人たちもそれを理解しています。

 

 

ですが優木せつ菜という名前は、スクールアイドルが禁止されている家系の生まれである菜々ちゃんがスクールアイドルであるための存在であり、作中でもそのギャップと名前の違いから一度バラバラになってしまった同好会メンバーは"優木せつ菜"を見つけることが出来ませんでした。

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(このシーンはまさに「お前がいうな」って感じでしたね…)

そしてせつ菜を応援してる人達も同様に、スクールアイドルでない彼女を見つけることはありません。

中川菜々がスクールアイドルであろうとしなければ誰1人優木せつ菜を認識できないのです。

 

 

 

そして矢澤にこ津島善子も堕天使ヨハネも、もう1人の自分として彼女たちが自身を否定しない限りずっと存在し続けることが出来ます。

 

 

ですが優木せつ菜は"スクールアイドル"でしかありません。もう僕の言いたいことが分かると思います。

 

 

スクールアイドルは一瞬の中で精一杯輝こうとする存在。どれだけ中川菜々が望んでも、あと数年で優木せつ菜という存在は彼女の中には、人々の前にはいられなくなるのです。

 

 

名前の通り刹那のような存在、スクールアイドルの本質そのものを体現したような存在。

それが優木せつ菜の持つほかのキャラとは違う有限性なのです。

 

 

いやならタイトルの"永遠"ってなんだよ!って話ですよね。

 

ですがせつ菜ちゃんはスクールアイドルであるからこそ永遠たりうるのです

 

矛盾してるでしょうか?でもそれはμ'sやAqoursといったスクールアイドル達が物語の中でどんな答えを選んだか、そしてどうなったか思い出して頂ければ分かると思います。

 

μ'sはラブライブ!、ニューヨークでのライブを通してやはりμ'sは自分達9人で終わらせることを選びました。

 

ですが時が流れ彼女達がスクールアイドルでなくなった後も彼女達は"スクールアイドルの最高峰"としてラブライブ!サンシャイン‼︎まで語り継がれています。

 

 

Aqoursは廃校になり守れなかった学校、共に過ごした街の風景、9人のAqoursとしての時間全ては前述した千歌ちゃんのセリフ通り「ずっと消えずに残っていくもの」だとしました。

 

スクールアイドルでなくても、この世に形在り続ける限り必ず終わりは来ます。終わりが来ないから永遠ではないのです人々がそこから受け取り、繋いでいくことによって初めてそれは"永遠"になります。

 

 

μ'sがあの日沢山のスクールアイドル達とSUNNY DAY SONGを歌いその魅力を繋いだように、その輝きに触れAqoursが生まれたように、スクールアイドルの永遠はその輝きをだれかが受け取り続ける限り繋がっていくものなのです。

 

優木せつ菜はスクールアイドルでしかいられません。だからこそ「卒業後その姿を見たものはいない、正体不明、虹ヶ咲学園のスクールアイドル」なんて語り継がれるのでしょう。

そしてその一瞬の輝きはまた誰かが受け取り繋がっていく

 

だから中川菜々がスクールアイドルでいられなくなっても、優木せつ菜は決して消えないのです。

 

 

 

ですがまだ彼女がそうなるのはきっとまだずっと先の話です。

 

 

だって今まさに彼女は虹ヶ咲学園のスクールアイドルとして輝こうとしているんですから。

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