スパボの掬い場

ラブライブ!への大好きを叫ぶ場所。

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Liella!と"いま"を切り取った歌。「この街でいまキミと」について。

いまどんな場所にいますか?

元気してますか?

 

こんにちは!スパボです。久々のLiella!記事になります!

 

Liella!1stライブツアーが終わったのも、気づけば2ヶ月前になります……!

そして……今週末には 

2nd LoveLive! ~What a Wonderful Dream!!~が開催ですね!(は?)(そしてあっという間にLiella!デビュー1周年もきます。)

 

アニメ1期が終わったのも、つい先日のようで……。それなのに、あれだけ「長い!」って思った1stライブも終わって久しいなんて、時の早さに寂しくなりますね……

(でも終わりじゃないよ!始まりだよ!)

というわけで、今回はそんなLiella!と紡いだ日々に想いを馳せながら、僕の大好きな曲について語らせて頂きたいなと思い筆を取りました。

今回はタイトル通り、「この街でいまキミと」について。

 

僕が鳴らす最高のいま、とそんな"いま"を共に生きる君に視点を当てつつ。

そして追加公演で僕らが貰った「離れても繋がっている」って言葉について、この曲を通して解釈していきたいと思います。

最後まで是非よろしくお願いします!

 

①君と生きる"いま"

 

まず前提として、「この街でいまキミと」って曲の歌詞って本当に解釈の幅が広く設けられてる、すごくラブライブ!の"いま"を語る曲の特徴を持った曲なんですよね。

"いま"もそうですし、"キミ"とか"駅"という曖昧な表現に留めて決して特定しない

それによって、人それぞれが生活の中で使う駅が、出会うキミが、歌の景色に現れるんですよね。

 

そんな歌の在り方が、今思えば10都市もの景色に会いに行くライブツアーのセトリを締めくくる曲として、これ以上ないものになっていたんじゃないかな?と思います。

いつも待ち合わせより
15分前集合
駅の改札ぬける
ざわめきにわくわくだね

Liella! この街でいまキミと

まずAメロ頭の"駅"と"ざわめき"って単語から、この曲の真価が出てますよね。

 

勿論表参道で生きるかのんちゃん達に視点を当てれば、駅は原宿駅とか、渋谷駅、都会の喧騒、そんな情景が簡単に思い浮かびますね。

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ですが、これを10都市の街を回って、星を繋いできたLiella!に当てはめてみるとどうでしょう?

その駅は名古屋駅か、小倉駅か、仙台駅もしれない。

10回も改札を抜けた先の喧騒を味わっているのではないでしょうか?

 

それはLiella!と過ごしたあなたを、"キミ"と考えても同じですね。

あなたにとって、改札を抜けた街はどこでしたか?

どこへ向かうかなんて
気にしないであるいてく
いっしょに過ごすってこと
それが一番大事だよ

Liella! この街でいまキミと

どこだっていいんですよね。

どんな街だろうと、どんな場所だろうと、キミがいる場所でライブした時間。

『呼吸を共有した時間』が大事なんですね。

 

②キミの笑顔と最高の"いま"

未来の色はまだ  ぼやけて見えやしない
ただひとつ分かるのは  キミが キミが 好きだ

Liella! この街でいまキミと

未来の色はぼやけている。未来予知が出来る様な人でない限り、誰であろうとそれは変わらないと思います。

じゃあ過去ってどんな風に見えてるんでしょう?

僕は「過去は鮮やかに見える」って表現出来ると思うんですよね。

 

その理由のひとつが、アニメの中にあります。

スーパースターの劇中で、描かれる過去回想はいつも"眩しくて鮮明"だなって感じるんです。

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ここで使う"眩しい"ってのは、別に素敵な過去だからって意味ではなく、「過去はよく見える」って意味で使ってます。

それが大切な思い出か、苦しい思い出かは関係なく、鮮明に"いま"から見えてるのが"過去"なんです。

 

なら"いま"って、どう見えてるんでしょう。

多分「観測出来ない」だと思うんです。ぼやけてるのか、輝いてるのかも分からない。

 

ラブライブ!において"いま"って平仮名で表記すること多いですよね。

僕個人の感覚として、今でも、イマでもなく、

「いま」の方がどこか不安定で、定まりきってない、不確実性を感じます。

 

「ただひとつわかる」という歌詞からも、いまこの瞬間に分かることは、そんなにないのでは?と感じられませんか?

自分について"いま"どんな状態か正確に語れるほど、いまの自分を「観測する手段」はないんですよね。

確かに存在することは分かるけど、見えない。

 

何故なら"いま"というのは、過去になって初めて確定するから。

 

明日がいまになって、いまは過去になります。

ならば色がぼやけて見えない明日、定まり切ってない今、確定した過去、どこを見れば"いま"が鮮明に見えると思いますか?

 

絶対"いま"→過去で振り返った時の方が、"いま"について語れることがありますよね。

 

あなたにも、友人と過去の思い出を熱く語り合った思い出はありませんか?

それは「客観的に見えるようになった"いま"」が過去だからなんです。

 

そして、過去になった"いま"に「戻りたい」と思った時はありませんか?

それは既に手に入らなくなった"いま"だからこそ、より愛おしく感じてしまうんでしょうね。

 

でも、この瞬間にだって"いま"を愛する方法はあります。

その鍵になるのが、「君が好きだ」ってフレーズなんです。

 

結論からいきます。"いま"を愛する方法それは、

「自分以外の景色を見ること」です。

あなたが"いまを生きてる自分"を見る方法はなくても、"いま一緒に生きてる君"のことならよく見えませんか?

 

そう、この瞬間に"いま"を愛するには、外的要因が必要なんですよね。

未来はぼやけて見えない、でも"いま"一緒に生きてる「キミが好き」なんです。

好きな相手と一緒にいる"いま"を好きじゃない……なんてことはありませんのね?

 

「"いま"を観測するには、外的視点が必要」この考えは、サビの歌詞にも繋がってきます。

キミは少し前の方で  いたずらに笑ってる
ありきたりないまでも  最高の「いま」さ
この友情はかわらないよ

Liella! この街でいまキミと

"キミ"とは誰なのか。かのんちゃん?すみれちゃん?

「僕の前を歩く誰」なのか。

あるいは「僕の少し未来を歩く僕」のなのか?

 

解釈は色々ありますが、共通して言えるのは

『"いま"の僕を見て、キミが悪戯な笑みを返してくる』ってことです。

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なぜ僕を見て、キミが笑うのか。それは別の曲の歌詞にヒントがあると思います。

振り返ればいつも笑顔の君がいる

Starlight Prologue Liella!

GOING UPや、2ndアルバムでも歌詞に度々登場する君。

その中でも、個人的にStarlight Prologueの君は「この街でいまキミと」の"キミ"の解像度を上げてくれているように思います。

 

まず僕の解釈として、この歌詞の中で振り返っている人物は、「この街でいまキミと」の中に出てくる少し先の方で笑うキミだと思うんです。

それは「メンバーから見た別のメンバー」か、

『未来の自分から過去の自分』への視点かの解釈は様々ですが、いつだって後ろには"笑顔の君"がいるわけですよね。

 

じゃあなんで君はいつも笑ってるんでしょう?

それは、

「今この瞬間を楽しんでいるから」なのではないでしょうか?

 

少し先の方で僕を見て、大好きな君が笑っている。「僕が"いま"を心から楽しんでる」姿があるから。

そんな僕を見て笑う君の顔を見ることで、僕自身も

『最高のいまを生きてる』のだと分かるのではないでしょうか?

 

③友情と永遠で刻んだ"いま"

さてここからは、僕がこの曲を愛してやまない核心に入っていこうと思います。

 

僕が「この街でいまキミと」を狂った様に聞く理由として、2番以降の歌詞が本当に僕のパンチラインになってるんです……

まずここの歌詞を見てください。

ゆるめのリズム踊るように  一秒ずつを遊べ
いつか手を伸ばしても 届かなくなる日がくるのかなぁ

Liella! この街でいまキミと

手を伸ばしても届かなくなるもの。

それは「前を走る君の手」なのかもしれませんし、『今必死に追いかけてる夢』のことかもしれません。

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でも届かなくなる日がくること、それは未来がぼやけていても、まだ若き少女達にだってなんとなく感じられるものなんですよね。

 

だからこそ直後にくる歌詞が、ぼくとしては衝撃なんです。

それでもいーんだ!  茜色に染まる空めがけて
大きな声でキミに約束するよ この瞬間は永遠だって!

Liella! この街でいまキミと

正直初見時、久々に歌詞に唸りました。(本当に宮嶋淳子先生……好き……)

それでもいいと、有限性を受け入れながらも、この瞬間が永遠だと強く約束する。

 

僕がこの曲の持ってる凄みだと感じるポイントの一つが、この度々出てくる「言い切り」の表現なんです。

その「言い切り」に注目しながらもう一つ、ラスサビの歌詞を見てみましょう。

キミは少し前の方で いたずらに笑ってる
ありきたりなことでも ぜんぶ特別さ
わたしたちずっと友達だよ

Liella! この街でいまキミと

ずっと友達……?

変わらないなんてことはないはずで、「ぼやけて見えない」ことで、誰も予想がつかないことだと思うんです。

 

友達でいられることの保証は誰もしてくれないし、生きている時間は有限なのだから、永遠などないはずで、けどこの歌を歌う少女達には確信があるんです。

 

ではなぜ、彼女達はそれを何よりも強く信じてるのか?

 

▲キミと僕を結んだ星座線

結論からいっちゃうと、キミと僕が友達でありつづけることを確信できる証、それが友情だと思うんです。

それは1番サビラストでも歌っている、

「友情はかわらない」という歌詞。

僕こういう物として目に見えないものが好きなんです。

 

友情って見えないもので、けれど見えなくても確かに繋がってるんです。それは星座と星座を繋ぐ線と似ていますね。

本来関わりのなかった存在を、どれだけ離れてるかも分からない星同士を、人が結んで作り上げた繋がり。それが星座です。

 

きっと友情もそれと同じなんです。

長い人生の中で、たった一瞬交わったキミと僕の関係を途切れないようにするための線。

人によって、それは仲間や家族という形だったりするでしょうが、その線の種類の1つとして友情があると思うんです。

 

Liella!5人の、キミと僕の出会いすら、それぞれの歩く長い人生の瞬間で交差した出会いのたった1つ。

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そんな一瞬の"いま"が過ぎ去って、お互い交差点を渡り切ったら、僕らは離れ離れになって他人になっていく、人生はそれの繰り返しだと思います。

だからこそ人は、"いま"から遠く離れても近くにいようとするために、"友情"という見えない線で繋ごうとするのだと思います。

 

どれほど近くでいられるかなんて分からない、もしかしたらずっと遠い場所で、明日は生きてるかもしれない。

どれだけ離れて、どれほど関係なくなったように思えても、友人としての在り方に変化があったとしても"友情"という繋がりがあることはきっと変わらない。

 

それは1stライブツアーで時間を共にした、僕らだって同じですね。

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それぞれが生きてきた場所と場所を、Liella!と共にファンのみんなで結んで、繋いで星座にした。

目には見えないけど、確かに20公演と2公演の中で、場所と場所だけじゃない、解きたくない繋がりを作った人も沢山いるはず。

 

そんな繋がりを肯定するような歌を、僕らは最後に貰いましたよね?

ねえキミはいまどこにいるんだろう
ベッド?外?友達のとこかな?
どんな場所にいてもつながれるさ
耳を澄まして Special Time!

Shooting Voice Liella!

どこにいても繋がれる、その為の目印が友情なのではないでしょうか?

 

そしてそんな目印を、Liella!も作ろうとしてくれたんじゃないかな?と感じたのは、1stツアーファイナル仙台公演2日目の伊達さんのMCです。

皆さんと沢山の出会いを、出会う回数だったり、ありがたいことに頂けて、もう本当に友達みたいな感じになりたいので。

それこそ、共に生きた人たちとの関係が、

『瞬間だけのものではなく永遠である』ということを伝えようとしてくれたんじゃないかな?って思うんです。

 

現実、物理的距離はどれだけだって離れます。

Liella!が生きてる東京から、北海道九州なんて、どれほどの距離があるんでしょう?近くにいるなんてありえませんよね。

ずっと"キミ"が側にいるなんて保証はどこにもありません。

それでもずっと一緒にいる、いつだってキミを見て僕は笑う。

どんなときも踊るように 交差点こえていけ
押し寄せる人の波 およいでゆこう この街でいま

Liella! この街でいまキミと

だから「どんなときも」交差点をこえていくんです。

"いま"この瞬間、どんな街にいようと。どれほどの人と出会って別れても。

 

あなたと次交差するのが何年後だろうと、どんな場所だろうと。

いや、もう2度と交わらなくたって、友情という見えない線で繋いだ関係は永遠だから。

いつでもあなたが側にいるのだから、いつだって今生きるその場所が"この街"で、いつだって最高の今にできるはず。

 

いえ、ずっと近くで、キミが僕を見て笑ってくれるのなら。

いつだって、「最高のいま」のはず。

 

▲撮影という行為

さて、次はこの友情など、目に見えないものが「永遠」であることの理由について僕の解釈を少し語らせてください。

 

そもそも「楽しい時間はなぜかあっという間」だと分かっているのですから、これを歌う少女達にも、瞬間には永遠がないとわかっていますよね。

なら何が、彼女達にこの瞬間が永遠であることを確信させるのか。

 

それは20公演中何度も、Liella!が「この瞬間は永遠だと」歌った後、あなたと何度も行った『記念撮影』という行為、それが答えです。

 

なぜなら"撮影"した瞬間は不滅だからです。

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現物の写真は色褪せていきますよね。データで残していたものも、何かの拍子で消えてしまう可能性を持っていて、永遠ではありませんよね。

 

それは写真を撮る「手段」もだと思います。

あなたは写真を撮る行為を、なんて表現しますか?

カメラで撮る?フィルムで?スマホで?多分「手段」は時代と共に変化して、廃れていくものだと思います。(今はカメラで撮るとすら言わない人もいますね)

 

でも"撮る"、"撮影"という行為は何年経っても廃れることはありません。

そしてあなたが、「撮影した」という思い出も永遠ですよね。形に見えなくても、確かに持っているはずです。

 

形に残った写真が永遠なのではなく、

『瞬間を閉じ込めようとしたこと』そのものが永遠なのです。

友情も、「撮影した」という行為も、証拠としては残りはしません。

けど目に見えなくても確かに、あなたが、Liella!と生きた時間の中にあるはず。

 

だから「この瞬間は永遠」なのです。

そして、Liella!と切り取った瞬間を見つけるための曲こそ、『この街でいまキミと』だと思うのです。

風に吹かれて輝くページ

めくれていつか忘れないように

栞代わりにはじまりのうた

ずっとくちずさもう

Primary

「この街でいまキミと」は多分、いえ1stライブであなたが受け取った曲の全てが、あなたがLiella!と過ごした日々を見つけるための、栞を務める歌。

 

年月が経って、あなたがLiella!と駆け抜けた輝く日々を思い出せなくなっても、その歌を聞けば記憶の中から探し出せる。

 

だってこの曲と共に、あなたはLiella!とあの瞬間を切り取ったのだから。

 

④最後に

ここまでお付き合いくださりありがとうございました…!

 

今週末からまたLiella!と駆け抜ける日々が始まりますね。

この2ヶ月寂しかったですか?僕は結構寂しかったです。

 

アニメも1stライブも、始まる前はこんなにLiella!に対して離れる感覚を味わうとは思わなかったです。

実はカウントダウンから追加公演までの時間が楽しすぎたので、ここ2ヶ月くらいあの日々を引きずってました。

 

実際会えなくなりはするし、物理的に近くにいるわけではない寂しさはあって、でもその寂しさはLiella!との確かな繋がりがあるから僕の中で大きくなっていったんだと思います。

 

会えないことから生まれる寂しさが大きくなり続けているということこそ、Liella!との繋がりが変わってないという何よりの証拠だと思います。

そんなこんなで長かったような長くはなかったような2ヶ月を経て、またLiella!に会えますね!(2年半は待つ気でいました)

 

今度はどんな"いま"が待ってるんでしょう?

でもきっと、また最高のいまがやってくるんだと思います!

 

そんな期待を胸に、またLiella!とのいまを残しにいきましょう!